じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] (モモイロ)ヒルザキツキミソウ。和名では「モモイロ」をつけることがあるが、英語では「white evening primrose」というように「white」が冠せられることもあるらしい。種を蒔いたことは一度も無いが、丈夫でよく殖える。


5月18日(木)

【ちょっと思ったこと】

雅山がんばる

 大相撲五月場所(夏場所)12日目は、大関・白鵬が旭鷲山をつり出し、関脇・雅山も大関琴欧州を押し出して、ともに1敗を守った。

 5月15日の日記にも書いたように、白鵬にとって旭鷲山は、相撲部屋入門の恩人にあたる。勝負が終わった時、旭鷲山に一礼しているようにも見えた。

 いっぽうの雅山だが、かつて大関だったという記憶はあるが、これまでは殆ど印象に残らない力士だった。ウィキペディアによれば、明治大学中退、幕下付出しでデビュー、初土俵から4場所連続優勝という記録を作った半面、大関昇進推挙には複数の反対者が出たり、じっさい、大関時代の通算敗北数が勝利数を上回るなどして「21世紀最初のお荷物」などと酷評されたこともあったらしい。

 しかし、古豪の千代大海や魁皇が優勝戦線からあっけなく離脱していくなかで、もはや、日本人力士の優勝の可能性は、雅山ただ一人にかかってきた。まだ28歳、ここで奮起してもらいたいところだ。

 ところで、この雅山だが、じつは現在幕内トップという記録が1つだけあるという。2006年3月場所現在幕内最重量の182kgという記録である。このことがあまり話題にならなかったのは、少し前に引退した琴ノ若(現・佐渡ヶ嶽親方)のほうが重かっただめだろうか。


【思ったこと】
_60518(木)[教育]取り組みと成果は「多対多」

 教育改革に限らないが、何か新しい取り組みを実施した場合にもたらされる結果は単一ではない。複数の変化が同時に起こる場合もあるし、時間とともに質的に異なる効果が現れる場合もある。また、対象者のごく一部だけに効果が現れるということもある。要するに、

1つの取り組みの成果は「一対多」の関係(「1つの取り組み」→「多数の結果」)

にあるということだ。

 何か具体的な問題があってそれを改善しようとする場合には、ふつう、複数の対策が同時に施される。これは

「多対一の関係「数の対策→「1つの問題解決」

となる。しかし、この場合も、それぞれの対策は複数の結果をもたらすので、実際には

「多対一の関係「数の対策→「1つの問題解決+「多数の付随的結果」」

という関係、つまり「多対多」ということになる。




 何かの改革を始めようという時には、消極派を説得するためにも、観念先行のスローガンが掲げられることが多い。「主体性」、「思いやり」、「リーダーシップ」、「創造性」などなど。しかし、そのどれをとっても、単一の取り組みだけで、単一の成果が上がるというものではない。実際には、複数の取り組みを実施し、複合的な成果を期待するということにならざるをえない。

 そういう意味では、例えば、「主体性を高める」という目的のために、ある取り組みを行うことが適切かどうかというような議論はあまり生産的とは言えない。特に、意見の不一致があるなかでそういう観念先行の議論をしていると
  • 主体性とは何かという定義上の問題
  • その取り組みが(主体性をはぐくむという目的達成のために)有効であるかどうかをどうやって検証するのかという問題
で長々と論争するだけに終わって、いつまでたっても実施に踏み出せないという恐れが出てくる。重大な弊害が予想されず、そんなにコストがかからないというであれば、とにかく実施してみて、それによってもたらされた諸効果を多面的に検証するというのもアリかと思う。




 いっぽう、明らかな具体的問題があって早期の解決が求められている場合、かつそのために提案されている対策が同時に実施できないような場合(物理的に競合する、同時に実施する時間が無い、同時に実施するための資金が無い、...)には、当然選択を迫られることになる。政治でも経済でもそうだが、そういう時の判断は結局、リーダーに委ねられるほかはなく、失敗した時には責任をとってもらうことぐらいしかできないというのが現実的だろう。もちろんケースによっては、基礎研究(←いま述べた問題が医療に関わることであれば、治療法の検証というような形で)によってある程度、選択の根拠を得ることができるが、本質的に「多対多」にあるような現場ではあまり意味をなさない。「とりあえずやってみましょう」というわけにもいかず、かといって「こうすれば絶対に大丈夫」という保証もない。