じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 7月22日朝の田んぼ。久しぶりに朝から青空となった。手前の白い花の正体はヒョウタンの花に似ているが未確認。


7月21日(金)

【思ったこと】
_60721(月)[心理]動物園の行動展示

 7月22日朝のNHK「おはよう日本」で、「いま動物園が新しい」という話題を取り上げていた。人気の動物園と言えば何と言っても旭山動物園行動展示が有名だが、その成功例にならって各地の動物園でも、それぞれで飼育している動物たちが行動リパートリーを発揮できるような工夫が施されるようになっているという。ま、口の悪い言い方をすれば「柳の下の二匹目のドジョウ」を狙うようなものとも言えるが、とにかく、飼われている動物のためにもなることであるし、結果的に、各地の動物園に大勢の人たちが集まり、動物たちの暮らしや地球環境に関心を寄せるようになるならば、良いことであるとは思う。

 もともと「動物」というのは「動く物」であって、姿かたちばかりでなく、行動することを本質として備えているはずであるが、これまでの動物園では狭いエリアに閉じこめられていて、受身的に餌を与えられ、一日中、昼寝をするか、檻の中を行ったり来たりするだけの生活を強いられてきた。




 一般に「動物虐待」というと、餌を与えなかったり、棒で叩いて怪我をさせるようなことを思い浮かべてしまうが、実は、「行動し、努力の量や質に応じて結果を得る」という権利を奪うことこそが、最大の虐待なのである。スキナーは1979年来日講演の際に、
Those who claim to be defending human rights are overlooking the greatest right of all: the right to reinforcement. 【人権を守るのだと主張している人たちはすべての権利のなかで最大の権利を見逃しています−−−−−それは強化への権利です。(佐藤方哉訳)】
と述べているが、これは人間ばかりでなく、動物一般にも当てはまることである。食べ物が無制限に与えられているような環境であっても、自らの能動的な行動を通じてそれを獲得する権利を意図的に奪われている人や動物は虐待されていると言ってよい。




 私が子どもの頃は、動物園に行っても、狭い檻で昼寝をしている動物たちしか見ることができなかった。そのうちに、東京・多摩動物公園で、檻ごしではなく、深い壕を隔てて動物たちが展示されるようになった。さらには、アフリカ園などが造られ、広々とした敷地内で群れで暮らす動物たちを眺められるようになった。そしてさらには、自家用車や専用車の窓越しに直に動物たちを眺められるサファリパークが各地に誕生するようになった。これらの試みは決して悪いとは言わないが、その発想には重大な欠陥があった。いくら敷地を広くしても、受身的に餌を摂取している限りにおいては、動物たちは決して、本来備えた行動を発現させることができないのであった。




 番組で紹介されている行動展示の多くは、餌を獲得するための「オペラント行動」であるようだ。単にオペラント強化というならば、アシカやタヌキの曲芸も本質的には変わらない。しかし、それらは、端から見ると「人間に操られている行動」という印象が強い。いまの観客が喜ぶのはむしろ、動物たちが野生の状態で自発させているような行動と形態的によく似た行動を間近に眺めることにあるようだ。


 この種の「行動展示」で困難なのは、肉食動物が獲物を捕獲する行動であろう。生きた動物を餌として与えることは可能だが、これはこれで、獲物となる動物を虐待しているとの批判を浴びかねない。子どもたちにも、ライオンやトラは残虐な動物だとの印象を与えかねない。しかし、そういう動物にあっても、例えば、ロボットに餌を載せて動き回らせるとか、坂の上から肉の入ったボールを転がし、それに飛びかかって餌を取らせるといった工夫はできるはずだ。




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