じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 岡大・農場の田んぼ。幸い台風の被害もなく、順調に実りの秋を迎えられそうだ。写真下部は6月14日撮影した、田植え直前の写真。


9月26日(日)

【ちょっと思ったこと】

メアリーは日本に来るか

 24日の日記でも取り上げた台風21号(アジア名、メアリー)だが、27日朝の時点では、東シナ海南部で高気圧に挟まれて身動きが取れなくなっているようだ。

 24日の日記にも引用したように、台風進路の予報円表現は、あるシナリオのもとでの条件つき確率とみなせるという。気象庁(27日朝7時現在)はシナリオの選択にかなり困惑しているらしく、1日後、2日後、3日後となるにつれて予報円の大きさはふくれあがり、3日後のサイズは予報円半径 540km、暴風警戒域 全域 650kmという莫大なサイズとなっている。これじゃあ、いったい予報をしているのか?、単にどこへ行くかわかりませんと言っているだけなのか、見る側も困惑してしまう。

 いっぽう、米軍合同台風警報センター(JTWC) の予想進路は、かなり「思い切りがよい」ものとなっており、9月24日頃から台風が日本に向かうとの予想を崩していない(上陸予想時刻や南北の進路方向はかなり変化しているが)。日本の気象庁と違って、予想が外れても住民から文句が出ないという気楽さがあるのだろうか。

 台風のアジア名については9/1の日記で取り上げたことがあるが、今回の21号は、こちらのリストのローテーションにより、北朝鮮提案の「Meari(メアリー、やまびこ)」という名がつけられている。こちらのウェブログ(9/21付)に
やまびこの意味は、台風が発生すると、台風委員会の通知が委員会のメンバーの間にこだまする(メンバーに響きわたる)」 ?? 北朝鮮が提案した名前は全般的に不思議なものが多いのですが、これは特に謎めいた名前です。
と書かれてあったが、名前同様、謎めいた振る舞いを見せる台風である。





動物園は動物の行動を見せるところ/「見れる」と「見られる」と「見える」

 DVDハードディスクに録画してあったNHKクローズアップ現代「よみがえる動物園 〜北海道・旭山動物園の挑戦〜」を視た(放送は9月23日)。

 この動物園は、今年7月の入園者数が東京・上野動物園を抜いて日本一に輝いたことで、Yahooニュース(共同通信)や、日経ネットでも報じられていた。また、私は視ていないが、すでに昨年から、テレメンタリ−2003「14枚の素描〜旭山動物園の夢 ...という番組でも取り上げられており、この番組は2003年度のテレメンタリー最優秀賞を受賞したという。

 さて、今回のクローズアップ現代でも伝えられたように、この動物園の一番の魅力は、「動物の姿」ではなく「動物の行動」を見せるという点にある。これは「行動展示」と呼ばれているそうだ。

 この日記でも何度か論じたことがあるが、動物の本質は行動することにある。「首の長い動物はキリン、鼻の長いのはゾウ」などと言うが、あれは動物の形態的特徴だけに注目した表現であって、動物の本質的特徴を述べたものとは言い難い。形態的特徴だけを言うなら、剥製でもぬいぐるみでも化石でもみんな同じである。

 それゆえ、形と行動をセットにしなければ生きた動物を見たことにはならない。しかし、既存の動物園は、施設予算や飼育コスト、安全管理、衛生管理などのしがらみから、たいがいは、狭い檻に動物を閉じこめて展示していた。餌も一日分をまとめて与えてしまう。こうなると、動物たちは、一日中昼寝するか、行ったり来たりするか、人間に餌をねだるくらいのことしか、することが無くなる。地球!ふしぎ大自然などで野生動物たちのイキイキとした姿を見ている者にとっては、檻の中でゴロゴロしているだけの動物は全く魅力がない。観客数が減少していくのは当然であろう。

 その後登場した「サファリパーク」というのも、ただ屋外にライオンが寝ているという程度のものであり、行動展示とは言い難かった。また、いくつかの民営動物園やマリンパークなどで行われる曲芸のたぐいは、それ自体は面白いとしても、動物の本来の生きざまではない。そういう意味では、旭山動物園で行われているという、ペンギンやアザラシの行動展示方式は、まさに画期的と言える。このほか、地味ではあるが、サル山での餌の与え方(小さな穴の空いた箱から少しずつ取り出せるようにする)もなかなか意義深い改善であると思った。野生のサルは一日中苦労しながら餌を採集しているのであって、一日一回ごっそりとばらまかれた餌をほおばるわけではないからだ。

 動物園である以上、動物たちを自然の生息環境と全く同じ状態で飼育することはできっこない。しかし、それぞれの動物たちの習性を理解した上で、彼らが多様な行動(オペラント行動)を自発し、かつその行動が強化されるような環境を整備すれば、イキイキとした姿にふれることができる。「生きがいとは、好子(コウシ)を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動することである【好子(コウシ)の所有自体は生きがいにはならない。好子によって強化される能動の中に見い出せる。】」というスキナーの主張は、人間ばかりでなく、動物園の動物たちにも当てはまることが、旭山動物園の努力により実証されつつあるように感じた。

 余談だが、今回のクローズアップ現代で、インタビューされた入場者たちが「間近に見れて感動した」、「想像以上の場面をいっぱい見れてよかった」というように、ことごとく「ら抜き表現」を使っていたのがちょっと気になった。それも子どもたちではない、お母さん、オジさん世代が平気で使っていたのである。もはや、「見られて」という表現は古語になってしまったのだろうか。私自身はどうしても引っかかるのだが。

 もう1つ、「見える」ではなく「見れる(見られる)」と表現されていたのも面白かった。私なりに考えるに、
  • 「見える」というのは、「今日は富士山が見えます」というように、ある環境で自然に条件が揃い、特に意図しなくても目の前に対象があるような場合を言う。英語の「see」に近い。
  • 「見えない」というのは、見ようとしてもその能力がなかったり、人間の力では見えるようにならない場合を言う。
  • 「見れる(見られる)」というのは、特別な人工的条件が揃った時に、かつ能動的に見ようとして可能になる。英語の「look at」に近い。
  • 「見れない(見られない)」というのは、本来は「見える」ものが、ある種の人為的制約があったり、具体的条件が揃わなくなったために不可能になっていること。
 旭山動物園では、動物の自然の生きざまを行動展示しているわけだから、本来それは「見える」ものである。しかし、そのわざわざ動物園に出かけていって、条件が揃って初めて実現するという点で「見える」とは言わず、「見れる(見られる)」という言葉がついつい出てしまうに違いない、とふと思った。