じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 7月21日の日記に、田んぼの傍らに咲く白い花の写真を掲載したが、24日早朝の散歩時、この日に咲いた花の上に小さなカエルが乗っているのを目撃した。花に集まってくる虫を補食しようという目論見なんだろうが、大型昆虫に逆に食べられてしまいそうな気もする。

花に潜むアマガエルの写真としては昨年6月10日撮影分あり。


7月23日(日)

【ちょっと思ったこと】

地政学的リスク

 7月24日(月)朝のモーニングサテライトで「地政学的リスク」を解説していた。

 「地政学」自体はウィキペディアでは
  • 地理的な位置関係が国際関係に与える影響を研究する学問
  • 地政学への批判は、その実証性の薄さとイデオロギー的正当化に対してなされる。地政学の諸説は、理論の妥当性を事例分析に接続して検証する方法を持たず、大国の意図が無媒介に世界地図に投射されるものと仮定して説明する。...しかし実証性の薄さは政治学や社会科学全般にいえる話であるため、地政学のみへの批判として持ち出すことには無理がある。
などと解説されているが、「地政学」に「リスク」がついた「地政学的リスク」のほうは、必ずしも「学」の成果を反映したものではなく、単に

●特定地域で生じている政治的、外交的、経済的な緊張や混乱が日本や世界経済に与えるリスク

というような意味で使われることが多い。また、株価などへの影響は実際に受けた打撃ではなく、ウワサや心理的要因によることのほうが大きい。そういう意味では、わざわざ「○○学的」などと言うのはちょっと大げさすぎる。単に「特定地域における政治的リスク」と言えば済むようにも思える。

 このことに限らず、「○○学的」という表現の中には、単に「○○的」と言い換えたほうが正確ではないかと思われるものが多い。

 私が大学院生の頃、「学習の生物学的制約」という言葉がよく使われたが、ある学会シンポで著名な心理学教授から、

●生物学という学問があろうと無かろうと、そういう制約が起こっているのだから、「生物学的制約」は「生物的制約」とすべきではないか。

という指摘を受けたことがあった。私個人は、それ以後、「生物学的」ではなく「生物的」を使うように心掛けている。

 「○○学的」の中で使ってもよさそうなのは「天文学的数値」である。これは「現実生活とかけ離れたきわめて大きな数値」という意味で使われているが、そもそも数値というのは単位を明確にした上で用いられるものであり、天文学が無ければ、あのようなきわめて大きな数値に言及されることもないだろう。

 ちなみに、英語の「psychological」は、「心理学的」と訳したほうが良い場合、「心理的」のほうがピッタリする場合の両方がある。「〜logical」に「…学[主義,理論,学説]に関する」という意味が含まれていると言っても、心理学という学問を前提とせずに「心理的要因」という使われ方をすることが多いからだ。似たような英語でも「psychic」は「心霊の」というニュアンスが強くて使いづいらい。