じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 気象庁は7月26日、九州南部・北部と四国が梅雨明けしたと見られると発表した。中国地方の発表はまだ行われていないが、四国に近い岡山県南部(瀬戸内地方)は、実質的に26日が梅雨明けといってもよい(但し、県中部の天子山<あまごやま>では18時〜19時までのあいだに50ミリ、1日合計で80ミリの局地的な雷雨を記録した)。

気象庁の発表を待たなくても、生物は皆、独自の能力により梅雨明けを察知しているようだ。写真上はイチョウの木にとまっているクマゼミ(すぐ横にアシナガバチ)。写真下は、26日夜、抜け殻の上で休息する羽化直後のクマゼミ。


7月26日(水)

【思ったこと】
_60726(水)[心理]社会奉仕刑の新設

 各種報道によれば、杉浦法務大臣は26日、犯罪を犯した者のうち軽い犯罪で更生する可能性が高い場合は、実刑ではなく、社会奉仕を義務づけるなど、犯罪者の処遇を抜本的に変えるための検討を行うよう法制審議会に諮問した。刑務所の収容者の数が定員を上回る状態になっていること、刑務所に収容しても再び犯罪を起こすケースが後を絶たないことなどを考慮したものということだ。

 報道で伝えられた限りの情報によれば、具体的な諮問内容は、
  • 軽い犯罪で更生の可能性が高い場合には、刑務所に収容するのではなく、道路や海岸を清掃するなどの社会奉仕活動を義務づける新たな制度を設けることができないか検討する
  • 再犯率が高いとされる性犯罪や薬物犯罪などに対しては、教育や治療を受けながら社会復帰を促すため、刑務所を出所したあとも一定の強制力を持って更生を促す制度のあり方を検討する
となっている。

 刑務所での禁固、懲役刑に代えて社会奉仕刑を新設することについては基本的には結構なことだと思うが、効果が期待される反面、いろいろな問題点も考えられ、審議会がどのような判断を下すのか注目される。




 社会奉仕刑を新設することのメリットとしては、まず、とにかく、刑務所収容者数の過密化を解消するという現実的な有効性が期待できる。収容者の過密状態が続けば、受刑者間のトラブルがおこりやすく、また、更生につながる教育が十分に実施できない。それよりは、現実社会との接点を増やしたほうが社会復帰が期待できる。

 より本質的な有効性は、受刑者の「関心空間」を広げることだろう。いくら刑務所内で倫理や道徳についてお説教したところで、関心空間が自分の近傍に限定されている限りにおいては、外の世界に迷惑を及ぼす行為を矯正することはできない。例えば、車を運転中に吸い殻やペットボトルを窓の外に平気で投げ捨てるヤツらがいるが、彼らとて、自分の車や自宅の中でむやみにゴミを散らかしているわけではない。ことによると、自分の子ども相手に「モラルが大切だ」とお説教しているかもしれない。にも関わらず吸い殻を平気でポイ捨てするというのは、関心空間がそこまで広がっていないことに問題があるのだ。そういうヤツらに抽象的な道徳教育をしたところで効果は期待できない。必要なことは、車の窓の外の世界を関心空間に取り込むことである。同様に、受刑者にいくら所内での規律を守らせたとしても、それによって現実社会で規律を守る行動が増えるということは全く期待できない。社会奉仕刑は、現実のいろいろな世界に目を向けさせるという点で効果的ではないかと思われる。




 いっぽうデメリットもいくつか考えられる。

 まず、1998年12月30日の日記で「免許講習行き過ぎ?」という話題で取り上げたことに関連するが、道路や海岸を清掃させるという社会奉仕活動をさせるということは、該当者をさらし者にしてしまう可能性がある。それよりももっと危惧されるのは、業務として、あるいはボランティアとして、道路や海岸の清掃活動に従事している人たちが「あの人たちは悪いことをした人たちだ」という目で見られてしまわないかということ。というようなことから、ボランティア活動が誤解され、「社会奉仕活動イコール社会奉仕刑」という偏見が生まれることはないだろうか。

 より本質的な問題は、「社会奉仕活動を強制しても、社会奉仕的な態度が身につくとは限らない」ということだろう。このWeb日記の各所で指摘しているように、

●その行動は周囲にどういう効果(あるいは影響)をもたらしたか

ということと、

●ある個人において、その行動は何によって強化されているのか。

ということは全く別の問題である。

 例えば、道路のゴミを拾うという行動は
  • 道路がキレイになったという環境変化自体によって自然に強化される
  • ゴミ拾い行動は適量の運動であり健康保持につながる
  • 拾ったゴミの量に応じて賃金を受け取る
  • サボると刑務所に入れられるので、社会奉仕刑として、いやいや参加する。
という場合では、それぞれの強化子が全く異なっている(※一般には「行動の目的や動機が異なる」と言われるが、行動分析学的に言えば、「行動が何によって強化されているのかが異なる」と表現すべき)。

 もちろんどんな形で強化されていたとしても、とにかくゴミ拾い行動自体が環境美化につながることは間違いない。しかし、行動は成果だけで評価するべきものではない。行動のプロセスにちゃんと目を向けなければ、それが、矯正に有効かどうかを判断することはできないと考える。




 余談だが、私は、道路に捨てられたゴミ(吸い殻、ファーストフード容器、ペットボトルなど)を拾うという行動は、社会奉仕活動ではなく、むしろ、不心得者に対する「甘やかし行動」であると考えている。

 いくらポイ捨てに無頓着な人間でも、路上がゴミだらけという光景を目の当たりにすれば、いずれ、その犯人の一人が自分自身であったということに気づき、反省するようになるだろう。ところが、毎日、ボランティアの人たちの手でそういうゴミがせっせと拾われている限りは、何回捨てても、その誤りに気づくことはない。この種の「社会奉仕活動」は、結果的に、ポイ捨て者の望ましくない行動を「強化」していることになっているのである。

 ではどうすればいいのか。本質的な改善をめざすためには、ゴミを拾ってやるのではなく、街角のあちこちに監視員としてバケツと生卵を持って常駐し、
  • 吸い殻をポイ捨てした者が目撃された時は、その犯人にバケツで水をぶっかける
  • ファーストフード容器やペットボトルをポイ捨てした者が目撃された時は、その犯人に生卵をぶつける
という罰を与えればいいのである(←あっ、生卵は勿体ないので、泥水を浴びせれば十分か)。

 海岸のゴミとなると、これは外国からの漂流物も含まれているので犯人を罰するのは容易ではないが、日本海側の海岸でよく見かけるハングルやロシア文字の入った漂流物などはほぼ「国籍」が特定できるので、当該大使館の玄関にぶちまけてやればそれでいい(←おっと、日本国内に大使館の無い国もあったか)。