じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
岡山駅新幹線ホームから眺める夕焼け(9月3日18時38分頃撮影)。一般旅行者にとっては、新幹線のホームから夕日を眺めるという機会は滅多にないことだと思う。

 その条件を満たすためには、まず、日の沈む方向に高いビルや山が無いことが絶対条件となる。第二に、ホームが東西南北のどの方向を向いているのかによって夕日の差し込む角度が変わってくる。こちらの地図にあるように、岡山駅のホームは北東←→南西方向を向いているため、夕日に照らされやすい。最近いくつかのビルが建てられたとはいえ、夕日を遮るほどには至っていないので、これら2つの条件を満たしていると言えよう。

 第三に、夕日が沈む時刻に晴れている必要がある。岡山は「晴れの国」と自認するくらいで他所よりも晴天率が高い。

 以上の条件を満たしていても、日の入りの時刻に駅のホームに立っていなければ当然夕日を眺めることはできない。こちらの資料によれば、2006年9月3日の岡山市の日の入り時刻は18時29分、いっぽう、私が乗った新幹線「のぞみ39号」が岡山駅のホームに到着したのは18時38分だったのでギリギリで夕焼けに間に合いラッキーであった。


9月4日(月)

【思ったこと】
_60904(月)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(1)科学的精神の重要性

 9月1日から3日まで関西学院大学上ヶ原キャンパスで開催された日本行動分析学会第24回年次大会の参加感想の連載1回目。なお私個人が年次大会のほうに参加したのは1日と2日の2日間のみであり、9月3日は、これとは全く別の、ダイバージョナルセラピー関係のセミナー《大阪・淀屋橋近く》のほうに参加した。そちらの感想は後日、別タイトルで記録に残す予定である。

 今回の学会はまず、某私立大学長のI先生の公開記念講演から始まった。I先生は、御自分で言っておられたように現在は完全に行政職にあるということであったが、それより前、44年間にわたって関学の心理学教室、さらには日本の心理学界の発展に尽くしてこられた重鎮である。

 私個人は、大学院修士課程の頃(1976年頃)から何度か研究室におじゃましたことがあり、私自身が研究紹介をさせていただいた時にはご自宅まで招いてくださったり、また、著名な心理学者レスコーラが滞在していた時にも、歓迎パーティに誘ってくださったことがあった。そんなこともあり、絶対に遅刻してはならないと、時計を気にしながら会場に向かった。

 御講演ではまず、心理学教育が、コンテンツよりも態度、つまり科学的精神を身につけるという点で重要であることが強調された。その精神は、単に「科学は大切です」といったスローガンを唱えるだけで身に付くものではない。「自ら研究計画を立ててそれを実施し、結果を処理し、研究論文にまとめ上げる」ための技能と能力を養成し徹底的に訓練するなかで達成される。

 I先生が学ばれたアイオワ大学ではBoulder Model(Scientist-Practisioner Model:科学者実践家モデル)に基づく大学院教育が行われた。そこでは徹底した厳しいコースワーク、系統的で広範にわたる教育課程、さらに方法論が重視されている。そして、その結果授与される博士号は、research and publicationに有能者であることを証する哲学博士(Ph.D)でなければならないというのが、このモデルの主張であった。もっともその後、全世界的な反体制運動の影響もあり、1973年以降は、Ph.D教育路線と、PsyD教育路線(Doctor of Psychology。心理学の臨床家を養成するプログラム)の2路線システムに分かれていった。

 とにかく、I先生のお立場は、基礎心理学重視、科学的精神を重視した心理学ということになる。それゆえ、基礎心理学から独立したような「臨床心理学部」の創設には断固として反対しておられるとのことであった(←「心理学」以上に細分化した名称はつけるべきではない、というお考えも表明された)。




 ご講演の後半では、我が国の心理学専門教育について、一貫したお考えが表明された。これは大学教育、大学院教育一般についてもしばしば指摘されることであるが、我が国ではアメリカの制度は取り入れても、中味が伴ってこないという問題がしばしば指摘されている。じっさい、心理学の教育課程についての議論もつい最近まではなされて来なかった。その一因は、これまで、大手出版社発行の心理学概説書を教科書として採用することで実質的に中味が規定されていたというところにもあるが、これは私自身が教育を受けた1970年代の頃のことかと思う。最近では新しい心理学も次々と誕生し、教育課程がバラバラになっていることは否定できない。

 そういう混乱があったにもかかわらず、規制緩和の影響を受けて、2000年から2003年までの4年間になんと54の心理学関係学科が認可され、入学定員は5257名も増員されたという。この種の関係学科は戦前には15しかなかったというから、たいへんな膨張ぶりである。それだけに新たな弊害も起こりつつあるといってよいだろう。

 時間が無くなったので、私自身の考えについては次回に。