じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
9月16日夕刻に佐世保に上陸した台風13号はその後日本海を北東に進んでいるとのことであるが(9月19日午前6時現在)、岡山市では幸い、この台風による被害は見られなかった。とはいえさすが台風である。農場のサツマイモ畑では、強風に煽られてサツマイモの葉が裏返しになり白く光っていた。

9/19追記]翌日の昼に撮影した写真を下半分にくっつけておきます。裏返しの葉は、ほぼ元に復旧。


9月18日(月)

【ちょっと思ったこと】

教育心理学会総会終わる

 岡山市の岡山コンベンションセンター(ママカリフォーラム)で開催されていた日本教育心理学会第48回総会が3日間の日程を終了。心配されていた台風13号の直接の影響は無かったようだ。

 何かの学会の年次大会に参加すると、鉄道で移動するだけで結構くたびれてしまうものだが、今回の会場は、バスで13分、徒歩移動を含めても20分で到着できるという近場にあり、気軽に参加できた。そういう意味では、都内で行われる各種行事に気軽に参加できる東京都内在住者の方はうらやましい限りであるが、参加できる行事が多すぎると逆にそれらに振り回される恐れがあり、取捨選択に戸惑うのではないかという気もする。

 ちなみに、私の公式サイトにもリストアップしてあるように、10月から11月にかけても以下のような関連学会がある(他にも小規模な研究会、講演会などあり)  それぞれ興味深い企画があるが、全部出ていたのでは体が持たない。現在、参加計画を調整中である。

9/19追記]教育心理学会の参加者はのべ1900名前後にのぼったそうだ。
【思ったこと】
_60918(月)[心理]日本教育心理学会第48回総会(2)「個の自立」のトラウマ?

 大会1日目の午後に行われた

●「学習資本主義」社会と教育改革‐「自ら学ぶ力」の格差問題‐

という特別講演の感想の続き。

 講演の前半でK氏は、臨教審の答申を引用しながら、国の教育施策がどのように方向づけられてきたのかを指摘された。

 その流れの源は、1987年8月7日の臨時教育審議会最終答申(概略はこちらにあり)に示されている。その中で特に注目すべき点は、
  • 従来の教育においては、個人の尊厳、個性の尊重、自主的精神の涵養が必ずしも十分ではなく、この確立、自由の精神の尊重等に欠けていたところを反省し、これからの教育は、「自由・自律の精神」、すなわち、「自ら思考し、判断し、決断し、責任を取ることのできる主体的能力、意欲、態度等を育成しなければならない。」
  • これからの学習は、学校教育の基礎の上に各人の自発的意思に基づき、必要に応じて、自己に適した手段・方法を自らの責任において自由に選択し、生涯を通じて行われるべきものである。
といった記述が見られる点である【表記は会場配付資料に基づく。誤記、漢字変換ミスがあればご容赦ください】。

 その後の各種答申、報告書の中でも
  • 社会のあらゆる分野において、主体的に行動し自己責任の観念に富んだ創造力あふれる人材が求められる。【創造的な人材の育成に向けて〜求められる教育改革と企業の行動〜】
  • 文部科学省は、近年の教育改革の中で、自ら学び、自ら考える力など「生きる力」という理念を提唱してきた。「人間力」とは、この理念をさらに発展させ、具体化したものとしてとらえることができる。...本委員会の採用した人間力の定義とは、「社会を構成し運営するとともに、自立した人間として力強く生きていくための総合的な力」ということになる。【平成15年4月10日、人間力戦略研究会(座長は市川伸一氏)】
というように(こちらに関連資料あり)、「個性の尊重】、「自由・自律の精神」、「主体的」、「自己責任」、「自ら学ぶ」というような言葉がキーワードとして強調されている。

 この方向性が打ち出され、強調されるようになってきた背景に、国際的な経済情勢の変化や福祉国家の行き詰まりに伴う要請があったことは間違いない。すなわち、日本の伝統的な長期雇用やOJT(On the Job Training)が成功を収めていた時代、努力や勤勉や集団主義が重視され、大学教育においては、即戦力よりもむしろ、一般的能力や訓練可能性(←卒業・就職後に訓練を受けられる可能性)を養成されることが求められていた時代が終わり、グローバル化に適合した教育が求められるようになった。そんななか、明治以来、トラウマのようにテーマに掲げられてきた「個の自立」という周回遅れの啓蒙主義とのシンクロによって学びの大合唱が始まったというのがK氏の講演前半の趣旨であると理解した(←すべて長谷川の記憶に基づくため、表現等は不正確)。




 ところで、上で引用されている「個の自立」の中味だが、これは必ずしも、「アイデンティティ」や「こころ主義」とは同列には論じられない問題であるように思う。また、「個人還元論」か「社会・状況還元論」という議論とも異なる。しかしこのあたりに触れるとかなり脱線する恐れがあるので、これらは別の機会に考えを述べることにしたい。


 時間が無くなったので次回に続く。