じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
福岡国際会議場の裏から眺める博多埠頭と博多ポートタワー。


11月4日(土)

【ちょっと思ったこと】

ホテルのサウナで意外な人と同席

 出張先の宿としては、なるべく大浴場・サウナつきのホテルを選ぶことにしているのだが、本日夜、サウナを利用していたところ、ちょんまげを結った、並はずれた体格の男性が中に入ってきた。そういえば来週からは大相撲九州場所が始まる、いかにも博多らしい雰囲気があっていいなあ、と思ったが、風呂から上がったところでいくつか疑問が。
  • 大相撲力士と言えば、普通は体重を増やしておくことが大切。サウナに入ったら体重が減ってしまうのではないだろうか。
  • 最近の力士は、ビジネスホテルに泊まるのだろうか?
  • 大相撲力士と言えば、朝稽古に備えて早寝早起きをされるものと思っていたが、21時半すぎまで起きていても大丈夫なのだろうか。
 というようなことを直接訊いてみようかとも思ったが、むっつりと怖そうな顔をしておられたので、直接お尋ねする機会を逸してしまった。

【思ったこと】
_61104(土)[心理]日本心理学会第70回大会(2)人類700万年を心理学する(2)土偶の表情と性別

 日本心理学会70回大会の公開シンポ

●人類700万年を心理学する〜考古学と心理学のインタラクション〜

の参加感想の2回目。

 2番目は、O大学のM氏による

●考古資料の顔を読む〜先史時代の人形表象研究への新視点〜

という話題提供であった。M氏はまず、マイズン氏の話題提供の中にあった
  • 社会的知能(人づきあいに必要)
  • 技術的知能(ものづくり)
の結節点に、土偶などの人形人工物(「人形」はたしか「ひとがた」と発音されていたと思う)があることを指摘された。人形人工物としては、例えば「3人のビーナス」が挙げられる。1つ目はドイツで発見された旧石器時代の人形、2つ目は縄文時代の人形、3つ目は有名なミロのビーナスであり、いずれも女性の姿をしているがデフォルメされている部分はかなり違う。

 M氏は、土偶などの人形人工物でも顔の認知に注目しておられる。顔の認知についてはかつて、ダーウィン(1872)が「顔の表情は進化によって生物学的に決定されており、個々の文化で学習されるものではない」と、普遍性を指摘した。要するに、どういう時代、どういう文化であっても、笑う、泣く、怒るといった時の表情はみな共通性があるということだ。この説は、1970年代に入って、動物行動学者のアイルブル=アイベスフェルトやエクマンらによって、再確認されるようになる。人間はまた、動物の顔に対しても、「ラクダは、尊大で決然たる表情」、「ワシやタカは、尊大にそっぽを向いている」というように、「生得的な解発機制」で反応してしまう傾向があるほか、ケータイの顔文字からも、特別の説明抜きで、表情を読み取ることができる。これらはいずれも、表情認知の普遍性を示唆するものと言えよう。




 こうした知見に基づき、話題提供の後半では、「現代人は土偶の顔をどう認知するか?」というM氏ご自身の実験研究(協力:K大学K氏)が紹介された。

 実験では、考古学専攻でない大学生に、土偶の顔部分のみの線画30枚を30秒ずつ提示。被験者は、それぞれの線画に対して、「怒り」「驚き」「恐怖」「喜び」「嫌悪」「悲しみ」という6項目、その他の印象として「滑らかな」「ごつごつした」「男性的な/女性的な」、「人間らしい/人間らしくない」、「できの悪い/よくできた」、「親しみやすい/親しみにくい」という5項目について5件法による評定を行った。主成分分析に基づく考察によれば、
  • 土偶のデフォルメされた顔表現に対しては、人間の表情判断と同じ手がかりで判断しており、被験者間に一貫性がある
  • 感情判断を活性化させる土偶については一定の傾向(単なる様式の違いではなく、意味や機能の違いに迫る手がかり)
  • 性別判断については文化的影響大
といった結論が得られたということであった。

 これらの成果はいずれもたいへん興味深いものであり、縄文人と現代人を繋ぐ「心の架け橋」になるものと期待される。




 今回紹介された実験研究で、「怒り」「驚き」「恐怖」「喜び」「嫌悪」「悲しみ」という6項目に関して被験者間で一貫した判断がなされたという点であるが、このことをもって、縄文人と現代人のあいだに表情判断の共通性があるかどうかは依然として不明である。縄文人がどういう制作意図でデフォルメされた顔表現をしたのか、縄文人がその表現をどういう表情として判断していたのかは、残念ながら、いまの時代に実験することはできない(もう少しあとの時代であれば、お祭りでみんなが楽しんでいる様子を描いた絵とか、釈迦が亡くなった時の弟子達の表情というように、文脈から想定される感情と描かれた顔表現を対応させることで、共通性の有無を調べることができるかもしれないが)。

 また、被験者間で一貫した判断がなされたからといって、文化の影響が無かったという結論するわけにもいかない。被験者であった大学生が同一の文化的影響を受けていれば、同じような反応をするはずだからである。

 仮に「文化の影響が無かった」としても、それが
  • 土偶の顔だけに特異的な傾向であるのか、例えばマンガや(土偶に似ている?→)TVゲームのキャラクターについても同じことが言えるのか、顔刺激全般についてなのか。
  • あるいは、被験者側の反応傾向の共通性/多様性を反応したものなのか。例えば、どのような刺激を見せても、「怒り」「驚き」「恐怖」「喜び」「嫌悪」「悲しみ」という6項目に関して被験者間で一貫した判断がなされやすく、それ以外は多様な反応傾向が起こりやすいということはないのか。
などについては検討しておく必要があるかと思う。




 土偶に対する性別判断はどうか。
  • 「女性=子ども顔」、「男性=大人顔」といった生得的な判断基準あり
  • ジェンダーの指標とされる身体的特徴(髪型やひげ)が見出される顔の場合は、それらが手がかりとして利用される。但し、その同定は誤っている場合が多い。
  • 縄文土偶、特に後期の土偶では、身体が明らかに女性である場合を除くと、顔表現は男性と判断されるものが多い。
というM氏のお話は大変興味深いものであった。

 もっとも、これは土偶に限ったものでなく、例えば仏像一般や古代の石像などにおいても、身体的特徴が明らかに女性的であるという場合を除けば、「女性には見えない」という判断がなされることが多いのではないかと思ってみたりする。

 そもそも性別判断というのは、生物的には、配偶者選びや、母親探しに必要な弁別機能として進化したものであろう。要するに、「男に見えるか、女に見えるか」という二者択一の質問の立て方をすること自体が不自然なのであって、まずは

●(性別を別として)人間に見えるかどうか

その上で

●異性(もしくは同性)として意識するか。あるいは、母親らしさを感じるか。

という問いかけをしたほうが妥当ではないかという気もする(この場合、回答者の性別や年齢による違いが大きく出てくるはずであろう)。

 次回に続く。