じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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座主川沿いの黄葉その後。落ち葉が絶え間なく散っていた。右側の11月7日撮影写真と比較すると、黄葉が進んでいる様子がわかる。
※撮影地点はこちら。但し、地図の情報は相当に古く、大学本部棟や社会文化科学研究科棟(放送大学施設と同居)が表示されていない。 |
【思ったこと】 _61120(月)[教育]大学教育改革プログラム合同フォーラム(8)特色GP分科会(3)解がない問題への自己組織的アプローチ 昨日の続き。TH大学の ●「学びの転換」を育む研究大学型少人数教育〜基礎ゼミを起点とした「大学での学び」の構築〜 という事例報告は、いろいろな点で大いに参考になった。「学ぶ」、「知る」、「解く」ことなどを重視する大学と、「習う」ことを重視する大学(国家試験合格、専門家養成、技術者養成、外国語スキル)では、初年次の教育内容にも違いがあると思われるが、ここに紹介されたような「初年次少人数教育」はそのいずれにおいても重要な役割を担うであろう。 初年次教育は、自動車学校(自動車教習所)で車の運転を教わることと共通する部分がある。運転の基本技術をしっかり身につけておかないと、路上でちゃんと車を走らせるわけにはいかない。しかし、いくら技術だけ身につけても、車に乗らなければペーパードライバーに終わってしまう。要するに、何の目的も無しに技法だけを学んだのでは役には立たない。そういう意味では、テーマを明示した上でグループ研究に取り組むということは大いに意義があると思う。 もっとも、「シラバスの入学前配布と受講希望調査」という方法だけで、新入生が自らに合った適切なテーマを見つけ出せるかどうかは若干不安がある。例えば、「株取引で大儲けするには?」というテーマを出したところ、100人を超える希望が殺到したというような半分冗談のようなエピソードが紹介されていたが、単に、趣味や実益が目当てであったとすると、学びの転換に結びつけられるかどうかという疑問が出てくる。 なお、このプログラムの詳細は、こちらに紹介されている。また、来月には、「大学における初年次少人数教育と「学びの転換」」という特別シンポジウムが開催されるとのことだ。遠方であるうえに、平日で授業と重なっていて参加できないのがまことに残念。 2番目の事例報告は、KH大学のS氏による、 ●解がない問題への自己組織的アプローチ〜実社会で役立つ力の養成〜 という内容であった。 このあとのパネルディスカッションでも言及されたが、「解がない問題」とか「自己組織的」というのは、GP審査員を含めて、受けが良いネイミングであったようだ。GPの審査では、採択基準が明示され、審査のプロセスの透明化が保証されてはいるが、やはり、パッと見て「おや?これはどんな取組だろう?」と、人を引きつけるネイミングが必要であると感じた。なお、この申請書は、S氏が比較的短期間に一人でまとめ上げたものであったとか。本文のアピール力も大きく物を言う。 ちなみに「解が無い」というのは
高校までの総合学習や、大学における従来のプロジェクト型学習では、学生の主体性を重視すると学習の成果が上がらず、また教員の指導が強すぎると講義や演習と同様になってしまうという問題があった。そこから自己組織的なプロジェクトの推進が始まった。 前掲のTH大学の初年次教育とは異なり、この取組は、3年次生向けのプロジェクト学習として実施されている。10〜15名の学生および2〜3名の教員が1つのプロジェクトを構成し、他大学、企業、地域と連携して、1年間かけて1つのテーマに取り組むという内容であった。KH大学は「システム情報科学」のみの学部を持つ単科大学であり、全教員担当とはいっても、TH大学のような総合大学とはかなり性格を異にしているように思えた。 この種のグループ研究では、わずか数ページの最終報告書を出すだけに終わったり、出席率の悪い学生が含まれることでリーダーに負荷が集中するなどの問題が起こりがちである(じっさい、2002年度にはそのような困難が露呈した)。そこでこれに対処するため、プロジェクト学習についての「最小限のルール」というものが明示された。具体的には
作業分担の公平性確保、あるいは教員の指導時間に関わる不満などを解決するために、学生の授業評価(教員の出席率や指導方法についての評価を含む)を通じて、要素抽出、統計解析による原因分析、QCによるアクション設定などの解決策がとられたという。QCという概念は、私のような人文系教員にはなかなか思いつかない手法であった。 そしてさらに、担当教員の負担を軽減するために、プロジェクト学習全体を統括するためのWGが設置された。歪みやほころびを出さないためには、やはりこれだけの体制を整えておく必要があると強く感じた。 次回に続く。 |