じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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龍ノ口八幡宮本殿裏からの北東方面の眺め。左手は旭川と大原橋。岡山刑務所もはっきり見える。こちらの地図参照。
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【ちょっと思ったこと】
1月8日が成人の日になる年 今年の正月休みは、三が日が明けた後に2日間の平日が入り、その後、またまた土曜日、日曜日、成人の日という3連休となる。私個人は三が日を含めて毎日研究室に通っているが、実質的には1月9日以降にならないと本格的な仕事始めになりそうもない、間延びした雰囲気だ。 「成人の日を含む三連休」が年によって大幅にずれることについては昨年1月7日の日記で取り上げた。第二月曜を定めたことによって、成人の日は1月8日から1月14日までの範囲でバラツキが生じることになった。毎年の曜日は、平年で1日分、閏年で2日分ずれていくため、来年2008年の成人の日は、今年より6日も遅い1月14日になってしまう。正月明けの仕事が起動した直後に三連休というのは、これまたやりくかろう。 終わってみて気づいたが、今年のお正月は、連続して休みをとるには最も好都合な年であったようだ。1月4日と5日の休みさえとれれば12月28日から1月8日までの12連休が堂々と確保され、その気になれば海外トレッキングにも行かれたはずであった。 では、今年と同じように1月8日が成人の日になるのは何年後だろうかと思って調べてみたが、次はなっなんと、2018年までチャンスが訪れないことが分かった。普通ならこのチャンスは6年に一度、元日が日曜日になる年の翌年がこれにあたるのだが、次回に元日が日曜日になる2012年は閏年であるため、2013年の元日は2日分ずれて火曜日になってしまうのである。元日が火曜日の時の第二月曜は1月14日であり2008年と同じ巡り合わせになる。2018年と言えば私はちょうど65歳でお正月を迎える年、つまり定年退職の直前ということになる。いくらなんでも定年3カ月前に海外トレッキングに出かけることはあるまいなあ。 |
【思ったこと】 _70105(金)[心理]新年早々に「あの世」を考える(2)「老い方・死に方」研究の大切さ 昨日は脱線したので、いよいよ本題の ●仏教に学ぶ老い方・死に方(新潮社、ISBN4-10-603542-1) について感想を述べさせていただく次第だが、これから書くことは、あくまで私の感想であって書評ではない。ひろさちや氏のお考えについて意見を述べるのではなく、ひろさちや氏が取り上げられた話題について「私ならこう考える」ということを述べるにすぎないことをまずおことわりしておく。 さて、まずプロローグ15〜16頁のところで、ひろさき氏は 【略】...そもそも「世の中の役に立つ人間」といった考え方はおかしくありませんか?それでは、人間よりも世の中のほうが大事になってしまいます。そんな馬鹿なことはありません。と述べておられる【段落、ルビなどは長谷川のほうで改変】。 そうか、仏教というのは、現世との関わりに限っては、アイデンティティを絶対視し、「個」を尊重する個人還元論的な思想なのかなあと思ってみたりもするが、このあたりは勉強不足で分からない。もっとも、同じ仏教でも、玄関前に政党のポスターなど貼りだして熱心に政治活動をしている団体もあるようだが、そういう人たちが「出世間」の思想を持っているとは到底思えない。ま、このあたりは今後の宿題にしておこう。 プロローグの最後では「老い方・死に方」の研究が大切であると説かれてあるがこれは私も同感だ。じっさい、私は、大学院教育に関わる某会議で ●医療技術がいくら発展しても、介護士をいくら養成しても、人間は最後は必ず死ぬものです。大学院教育の中心が若手研究者育成であることは確かだが、御定年退職者をを大学院に迎え入れて 「いかによく死ぬか」について研究するコースがあってもいいのではないか。 と発言したこともあった。いや、もしかすると、「いかによく死ぬか」という研究は、いじめ自殺や中高年の自殺の防止にも役立つかも知れない。死に方についてしっかりとした考えを持っている人は、そうあっさりとは死ねなくなるからである。ということで今回も本題から脱線してしまった。次回に続く。 |