じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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センター試験翌日の農場の畑と半田山。センター試験がよくできた人も、不本意な結果に終わった人も、この畑のように新たな気分で頭の中を耕作し、しっかりと作物を育ててもらいたい。
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【ちょっと思ったこと】
捏造やヤラセよりタチの悪い、つまみ食い「実験」 各種報道によれば、関西テレビ制作の番組「発掘!あるある大事典II」でデータ捏造(ねつぞう)が発覚した。 22日には、菅義偉総務相が同省内で記者団に、「公共の電波で明らかに捏造された番組が流されているのは極めて遺憾だ」と述べ、「厳しい(処分の)方向性と、再発防止のための施策はやはり必要だ」と指摘したという。また、スポンサーの花王は22日、同番組のスポンサーを降板することを決めた。同番組の枠は、花王が単独スポンサーを務めており、「あるある大事典」の番組打ち切りが事実上決まったことになる。なお、今回の番組を直接制作したのは「日本テレワーク」。1月21日付けの毎日新聞記事によれば、この制作会社は2005年1月にもテレビ東京で放送されていた「教えて!ウルトラ実験隊」で臨床実験中の花粉症治療法の実験結果を紹介したが、実際には効果が現れるまで2週間程度かかるのに5日程度で済ませ、2週間後に効果が現れたかのように放送していたことがあった。「発掘!あるある大事典II」では同社からさらに複数のプロダクションに委託しており、問題を起こしたのはそのうちの1社であったという。 私自身は、毎日21時すぎには就寝、翌朝5時すぎに起床という規則的な生活を守っているため、この番組をナマで視ることは滅多に無い。この番組の存在を初めて知ったのは、1997年6月15日に「検証! 血液型性格のウソ・ホント」という話題が取り上げられた時であったと思うが(1997年6月17日の日記参照)、あの時から、ずいぶんいい加減で、どうしようもない俗悪番組だと思っていた。その後、2004年頃に「発掘!あるある大事典2 秋の芸能人血液型スペシャル」などという番組が放送されることを伝え聞き、大嫌いな番組ではあったが単に血液型差別・偏見を助長する番組であるかどうかの証拠を保全する目的でDVDに録画したことはあった。しかしその後BPOの要望を受けて2005年以降にこの種の話題が自粛されたため、番組が存続していることさえ知らずにいた。 さて、今回の捏造であるが、伝えられたところによれば、今月7日に放送された「納豆を食べるとダイエットできる」との番組の中で、被験者がやせたとして別人の写真を使用したり、米国の大学教授発言の一部をねつ造していたほか、被験者の血液検査をせず架空のデータを放送していたことなどが問題とされているようである。 これらはいずれも虚偽の内容であり、このことで番組が打ち切られるのは当然であるが、問題は、捏造の有無だけにとどまるものではないと思う。 1997年6月17日の日記で取り上げたように、同年6月15日の放送では、ある保育園で週に2回、血液型別縦割り保育というのをやっており、その保育園園児に、血液型ごとのグループに分けてスイカを食べさせたところ、 残った皮の部分を比較すると、A型:赤い部分が残らないようにきっちり食べる、B型:食べ残しが目立つ、O型:大まか、AB型:きれいなものや雑なものが目立つ、という結果になった。という映像が紹介された。番組では「血液型によりスイカの食べ方が違う」ということが「実験」により証明されたかのような取り上げ方をしていたが、あれなんぞも果たして「実験的検証」に値するのか、クリティカルな目で捉え直す必要がある。 そもそも、グループ別に異なる保育をやっていれば、血液型別であろうと星座別であろうと、行動に違いが出てくるのは当然。また、紹介された映像が、100例中100例とも生じる現象を撮影したものなのか、100例中1例だけ現れた都合の良い場面だけを紹介したもの(=自分に都合のいいデータだけをつまみ食いするという意味で、私はこの種の実験を「つまみ食い実験」と呼んでいる)なのかは定かではない。 保育園児たちに「あなたは○○型だから、こういうふうにスイカを食べなさいよ」と事前に指示していたとしたらヤラセであるが、何も指示しなかったからといって、無作為抽出と無作為割り付けの原則が守られていなければ、実験的検証などとはとうてい認められない。 なお、上にも引用したように、この種の番組というのは、テレビ局自体ではなく、専門の制作会社がこれを担当、さらにはその子会社に制作が委託されることが多いようだ。子会社間の競争が激しい中では、データの精密性・信頼性などにはかまっていられない。とにかく注目され、視聴率を上げることが会社存続のための至上命令となる。そんな状況のもとでは、質の高い科学番組などできるはずがない。似たような不祥事を根絶することはきわめて困難であると言わざるを得ない。 |