じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 1月もあと1日で終わりとなった。写真は1月31日の日の出。左下の1月3日撮影の写真と比べると、左方向(北方向)にずれてきていることがよく分かる。


1月30日(火)

【思ったこと】
_70130(火)[心理]スーツケース1つの老後を目ざす(4)聴覚刺激で思い出を残すメリット

 昨日の日記で「思い出は電子媒体で残す」と書いた。このことで1つ気がかりなのは、歳を取って完全に失明してしまった場合に、これらの記録が無意味になるのではないかということだ。

 もっとも、視覚的な手がかりを利用している限りは、電子媒体であっても印刷物であっても実物であっても、失われる内容にそれほど大きな違いはない。愛用品ならば、実物がある限り、手で触って感触を確かめることができるが、それが懐かしさをもたらしてくれるかどうかは分からない。例えば、愛用の時計は、実物を残しておく限りにおいては、目が見えなくなっても手で触ってその存在を確かめることはできる。しかし、文字盤の懐かしさを感じることはできない。また、多くの「思い出」はモノのままでは残すことができない。生き物はもちろんのこと、生まれ育った街並み、生家、旅先の風景などは歳月とともに様変わりしていく。

 視力が失われた場合の対策として最も有効なのは、聴覚刺激との条件づけであろう。パヴロフのレスポンデント条件づけの原理が明らかにしているように、任意の聴覚刺激は、視覚刺激との対呈示を繰り返すことで条件刺激となることができる。

 そもそも、視覚刺激が「懐かしさ」をもたらすのは、視覚刺激自体が「懐かしさ」という条件反応を誘発する条件刺激(CS)になっているからに他ならない。条件づけの原理によれば、音楽などの聴覚刺激も、その視覚刺激と対呈示することで、「懐かしさ」を誘発する条件刺激になることができるはずだ。

 じっさい、映画やドラマのテーマ曲、挿入曲などは、単にそれを観ている時のムードづくりという効果をもたらしているばかりでない。のちにその曲を聴いただけで、ドラマの1シーンが思い浮かんでくるのだ。仮に視力を失ったとしても、聴覚刺激がもたらす視覚イメージの鮮明さは何ら損なわれるものではない。

 もともと流行歌の価値なども、歌自体の普遍的な美しさではなく、そのメロディが一定期間の生活体験とどれだけ対呈示されたか、それによってどれだけ条件づけられたかによって決まってくる。

 私個人は音楽を聴くという趣味が全くないので、これまであまり意識したことが無かったが、海外旅行に行く時など、それぞれの旅行先で特定の音楽のみを聴くようにすれば、後日、同じ曲を聴いたたけで、旅行中のさまざまな思い出や風景が浮かんでくるようになるはずだ。これは、デジカメ写真を見る時以上の懐かしさをもたらしてくれるかもしれない。

 次回に続く。