じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _70206(火)[心理]サステイナビリティ学連携研究機構公開シンポ(4)川口順子氏の講演(2)「科学的不確実性」と「原因と被害の乖離」 2月3日に東京大学安田講堂で行われた ●サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) 公開シンポジウム − 資源と環境が支える地球と人類の未来− の参加感想の4回目。講演の中で川口氏は、地球環境問題の解決が困難である一般的な理由として、
3点のうちまず1.の「科学的不確実性」であるが、これは、 問題の地理的・時間的規模が大きいため、因果関係やメカニズムを科学的に把握することが困難 というように説明されていた。また2.「原因と被害の乖離」は 原因行為と被害発生が、地理的・時間的に乖離するため、原因者が問題解決の動機を持つことが困難という意味である(いずれも長谷川のメモに基づく)。 例えば、河川の堤防を改修したにもかかわらず、そこが決壊して洪水になったとする。この場合の因果関係は、洪水の原因は手抜き工事か設計ミスか、...というように容易に把握することができ、将来の改善に役立てることができる。しかし、例えば、いまニュースとして取り上げられているジャカルタ洪水のような場合、直接原因は豪雨であると分かっても、それがエルニーニョによるのか、さらにはエルニーニョ頻出が地球温暖化の表れなのか、というようなことまではなかなか分からない。 環境破壊は明日やあさってではなく、何十年も後に悪影響を与えるという点でも、改善行動を起こしにくくしている。しょせん人間は、行動随伴性により強化されたり弱化されたりするという、しがらみの中から逃れられない動物である。行動の直後に結果が伴わない限りは、行動はそう簡単には変えられない。 講演を拝聴している最中には
要するに1.は、自然科学の問題であって、この方面での研究が進めば、将来起こりうる被害の規模や中味についての予測したり、即効性のある防止策を打ち出せるようになる。このほか、多額な経費を要する事業では「客観的な証拠」が求められる。そのさい「レトリカルな客観性」であろうとなかろうと、とにかくデータに基づいて議論をする上では、自然科学的アプローチはぜひとも必要となる。 いっぽう2.のほうは、自然科学ではなく、行動科学が取り組むべき問題。いくら、「この化学物質は河川を汚染する」という証拠があったとしても、上流域に住む人々にとっては、それを川に流すことで直接被害をこうむることはない。要するに、因果関係やメカニズムを解明しただけでは行動を変えることはできない。別段、自然科学の力を借りなくてもいい。道徳であれ宗教であれ、とにかく、環境にとって望ましい行動を強化し、望ましくない行動を弱化する行動随伴性の仕組みをつくらない限りは、行動を変えることはできない。川口氏の講演では「原因者が問題解決の動機を持つことが困難」とされていたが、行動分析的にはこれは「環境汚染の原因となる行動を直接的に強化・弱化することが困難」と言い直すことができるだろう。 次回に続く。 |