じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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文学部構内の梅の花。デジカメの接写機能が向上したため、おしべの様子がよく分かる。 |
【思ったこと】 _70208(木)[心理]サステイナビリティ学連携研究機構公開シンポ(6)川口順子氏の講演(4)アカデミアに期待される大胆さ、総合的視点、提案力 講演の中で川口氏は、世界の参加する地球温暖化対策の枠組みとして、
研究者や環境保護団体の活動家はとかく理想論ばかりを唱え、国の見通しが甘いとか、弱腰である、などと批判をする。しかしいくら内部で批判をしていても、現実的で確実に成果を挙げられるような妥協点を見出していかなければ、けっきょくは何もしないことと同じになってしまう。いっぽう、政治家はしばしば、自分の任期中の成果や、地元や出身母体の利益ばかりを優先する傾向にあるが、この問題は次世代以降の繁栄、というか、人類の存続に関わるほどの重大な問題である。目先の利害に囚われていては先に進めない。 こうした視点に立って、川口氏は、企業に対して、アカデミアに対して、行政に対して、政治家に対して、そして国民に対して、それぞれ提案を行って、お話をまとめられた。 そのうち「アカデミアに対して」の部分では、
これらはいずれも、地球環境問題に取り組む研究者にとって重要であると思う。 まず1.だが、研究者はとかく、実証性を重んじるばかりに、主張内容が慎重になりすぎるきらいがある。そのことが結果的に、環境破壊の想定規模を低く見積もったり、加害者として疑われている企業に有利な証拠を提供してしまったりすることにつながる。また、慎重になりすぎるあまりに、「Aという前提条件のもとで、BとCが境界値を超えた場合には、確率χ%で、Dという事態が発生する恐れがある」というように、やたらと前提条件をつけて意見を言うことがある。もちろん正確な情報を発信することは大切だが、情報は活用されてこそ価値が出てくるものだ。大地震の予測などもそうだが、大胆に予測が結果的に「空振り」に終わったとしても、甚大な被害をこうむるよりはマシだという考えもある。 2.の点は、研究が進めば進むほど知識は細分化しタコツボ型になりがちであることへの批判でもある。サステイナビリティ学連携研究は、まさにその問題をふまえた上で総合的な視点をめざすものと言えよう。 3.の「提案力の強化」もなるほどと思った。地球規模の環境問題は、国家レベルでの協議、あるいは大規模な予算や法的規制なしには解決しえない段階にきている。いくら研究者たちが学会のレベルで熱心に取り組んでも、、政治・行政への発言力を行使できなければ意味をなさない。 次回に続く。 |