じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 春に「咲く」花の中で最も嫌われているのは杉の花であろう。大学構内の杉もいっせいに花粉をつけている。



2月28日(水)

【ちょっと思ったこと】

「担保する」は大学教育界の流行語?

 最近、大学教育関係の会議で「担保する」という動詞をしばしば耳にするようになった。例えば、

●成績評価等の正確さを担保するための措置を講じる

といった言い回しである。

 『新明解』に
担保:
  1. 債務の不履行に備えて債権者に預け、債務弁済の手段に供されるもの。
  2. 抵当。
と記されているように、私自身の印象としては、「担保=借金の形」というイメージが強い。金を借りているわけでもないのになんで、「成績評価等の正確さ」の担保が必要なのだろうかと思ってしまう。

 ウィキペディアの当該項目は、さすが、そのあたりについての説明がしっかり書かれている。
主に法令において、「公平性を担保する」などのように「担保」の語を動詞化して用いる事例がみられる(「保証する」「確保する」などの意味で用いていると推察される)。また「保証人」という意味で用いる事例もあるが、『大辞林』(三省堂)によると、これらは明治時代から用いられるようになった新しい用字法である。
 しかし、「担保する」が上記の意味であるならば、単に

●成績評価等を正確に行うため、基準を明示し、評価の透明性を高め、異議申し立てに応じる仕組みをはっきりさせる

と記せばよいのであって、「担保する」という言葉をわざわざ使う必要はないように思える。




 「担保する」という言葉に違和感を覚えるのは、この言葉が、信頼だけでは成り立たない契約の世界で使われているためではないかと思う。

 つまり、信頼関係だけで成り立つムラ社会であるなら、お金を借りる時に担保は不要。それでも約束はきっちり履行される。いっぽう、「担保」と言った場合は、

●相手のことは全く信用できない。しかし債務不履行の場合でも担保があるので安心だ。

という意味になり、信頼を前提としない契約関係が成り立つことになる。




 それにしてもなぜ「担保する」がよく聞かれるようになったのだろうか。おそらく、法人化後の管理運営や認証評価の隅々に至るまで、行政の専門家が関与するようになったためであろう。法学部・経済学部系はともかく、それ以外の分野の教員が自分から「担保する」を口にすることはまずあるまい、と思う。