じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



3月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真]

 散歩道でよく見かける野良猫。ごく普通の顔をしているが、最近、このネコに注目すべき特徴があることを発見した。写真をクリックしてください。


3月9日(金)

【ちょっと思ったこと】

合格発表は交通信号のようなもの

 国公立大学・前期試験の合格発表も、3月10日発表の東大、京大などを残すだけとなった。すでに3月7日に発表を終えている岡大では、9日の日にはアパート探しのために生協食堂の特設会場を訪れる合格者の親子連れの姿を多数見かけるようになった。その一方、3月12日実施の後期試験の会場下見に訪れる受験生たちも居る。まだまだ受験シーズンは終わってはいない。

 合格発表というと、勝ち組と負け組の分かれ道に立たされているように思われがちであるが、人生、一度や二度の試験でそんな簡単に決まるようなものではない。併願者の場合は、1つの大学に不合格になっても、別の大学でもっと素晴らしい出会いがあるかもしれない。また、1つの志望大学一直線が「挫折」した人の場合も、また来年のチャンスもあるし、場合によってはここで心機一転、別の進路を探す機会に恵まれることもある。

 こうして考えてみると、大学の合格発表というのは、ある意味では、交差点の信号のようなものかもしれない。赤で一旦停車しても、信号はいずれ青に変わる。あるいは、赤に変わってから、右折専用の矢印が出ることだってある。当初の計画とは別の道に進んだからといって、目的地にたどり着けないわけでもない。気楽に考えればよい。

追記]
 以上に書いたことを行動分析学の視点でとらえると、

●合否の結果は、好子でも嫌子でもない。進学に際しての1つの弁別刺激にすぎない。

ということになる。確かに、合否というのは、多大な努力を必要とする「受験勉強」という行動に随伴する結果ではある。しかし、「受験勉強(=行動)→合格(=好子)」という随伴性が働いたからといって、受験勉強行動が強化されるわけではない。もし強化されるのであれば、合格した受験生はわざと入学手続を放棄して、翌年も受験勉強に励むことになるはずだ。

 受験というのは結局のところ1つの通過点に過ぎない。といってもマラソンのコースのような一本道ではなく、人生の種々の分岐点と言うべきであろう。であるからして、合否の結果は、過去の努力に対する好子でも嫌子でもなく、交差点の信号、いくつかの進路のうちの1つを指し示す道路標識のようなものであると考えるべきであろう。