じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 散歩道にある木製の電柱。定期的に点検を受けているらしく、金属製の点検合格ラベルがいっぱい貼られている。



3月19日(火)

【思ったこと】
_70319(火)[心理]第一回構造構成主義シンポジウム(9)池田清彦氏、竹田青嗣氏、西條剛央氏による鼎談(4)信念対立は悪いことか

 3月11日に早稲田大学で開催された

第一回構造構成主義シンポジウム:わかりあうための思想をわかちあうためのシンポジウム

の感想の8回目。

 鼎談では他にもいろいろな話題が取り上げられたが、時間の関係で、いくつか印象に残った点をメモしておくことにとどめたい。




 まず、信念対立という問題だが、いまの世の中、信念に限らず、さまざまな場面でいろいろな対立が起こるのは、ある意味では必然的であると言えよう。対立というとすぐに武力衝突を思い浮かべてしまうが、いま大阪場所開催中の大相撲だって、力士と力士の自己主張のぶつかり合いがあればこそ魅力があるのであって、力士たちが土俵の上で「わかりあって」いたらばそれこそ八百長になってしまう。

 私は別段、競争原理の信奉者ではないが、競争や対立のもとでの切磋琢磨が多くの進歩をもたらしてきたことも事実である。「対立は悪」という固定観念にとらわれることなく、どういう場面での対立は不毛(もしくは破壊)となり、どういう場面では逆に(弁証法的な?)発展をもたらすのか、それぞれのケースに応じて対処していくほかはないように思う。またそういう意味では、対立を回避する万能なツールなどはあり得ないと考えている。




 鼎談の中で竹田氏は、哲学では「どういう見方をとればどういう問題を解く時に有効か?」という視点が大切であるが、現実にはその1割程度が有効であった反面、残りは不毛な傍証に費やされていたというようなことを指摘された(←長谷川のメモに基づくため、かなりあやふや。後日、竹田氏の著作を参照して、正確な論点を確認したいとは思っている)。確かに、そういう論争においては、証拠を出し合って論破をめざすよりも、編み方を変える努力をしたほうが生産的であるかもしれない。

 もっとも、例えば地球温暖化のような問題は、「わかりあい」だけでは解決しない。保身や自己利益優先のために、価値観の多様性を悪用する人たちもいる。人類全体が一致して取り組むべき問題が生じた時には、環境破壊を放置するような「思想」とは闘っていく必要があるように思う。

 なお、信念対立が、単に「お互いのことを考えましょう」型の尊重精神で解決しないことは、質疑の中でも竹田氏によって指摘されている。

 資本主義社会がもたらした格差が、救済思想やルール作り、配分調整などによって解決するかどうかは、究極的には社会的富と人口とのバランスの中で決まってくるということのようだ。このバランスがうまく保たれれば、格差の少ない持続的な循環社会の実現も可能だが、バランスが壊れれば内戦、さらには核戦争の危険もありうるというようなことも指摘された(←長谷川の記憶に基づくので、あやふや)。この調整が科学の力で維持できるか、それとも新たな啓蒙思想が必要なのかは定かではない。

 次回に続く。