じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 大学教育研究フォーラム参加のため京大へ行ってきた。昼食・休憩時間が1時間(初日)〜1時間半(2日目)と、時間的に余裕があったので、文学部東館の中に入ってみた。ここは、私が、学部・大学院・オーバードクター・研修員等で10数年にわたって過ごした場所である。文学部心理学関係の設備がだいぶ前に新築の研究棟のほうに引っ越ししていたこともあり、建物の中まで入ったのはたぶん20年ぶりになるかと思う。

 写真上は2階の院生室入り口。廊下には、スタッフ(教員、院生、学部生)の名札をかけるボードがまだ残っていた。火元責任者表示ラベルには、なっなんと、10数年前に助手をされていた方(現・高知大学教授)のお名前が。
 写真下は、地下にあった動物実験室への階段。私が在籍していた頃は、実験用ラットやハトの糞尿を袋に詰めてこの階段から搬出し、リヤカーで医学部実験動物施設にある専用処理施設まで運んだものであった。実験室だった所は改装されて現在は別の学部附属のセンターとして使われているようであった。相談室の窓口となっていた部屋は、32年前に長谷川の卒論実験(ハト)として最初に使われた部屋と同位置であったが、このことを知っている人はもはや居るまいなあ。


3月28日(水)

【思ったこと】
_70328(水)[心理]心理療法におけるエビデンスとナラティヴ(4)McLeod氏の特別講演(2)ナラティヴとエビデンスの関係

 3月21日に立命館大学衣笠キャンパスで開催された特別公開シンポジウム:

心理療法におけるエビデンスとナラティヴ:招待講演とシンポジウム

の感想の4回目。

 メインゲストJohn McLeod氏(英国アバティ大学教授)の特別講演:

●How could Psychotherapy develop from the modern forms to post-modern

の後半では、「4つの変化」(3月26日の日記参照)それぞれにおいて、治療者とクライエントがどのような関係にあったのか、何を問題とされていたのかが解説された。メスメリズムやフロイトの治療場面は1枚の画像(例えば、メスメルの治療を受ける人たちがローブで繋がれている写真とか、フロイトのカウチなど)で特徴づけられるが、ポストモダンのセラピーとなると視覚化が難しいというのはその通りであると思った。

 次に認知行動療法(CBT)とナラティヴとエビデンスの関係について。あくまで長谷川の聞き取りで理解した範囲でメモしておくと、
  1. evidence-based:成果が無いと払わないという考え方。役立つ治療を検討するにはよいこと。
  2. ナラティヴでは証拠を示すことが難しい。定性的な効果研究を粘り強く示す必要。
  3. 各種のセラピーの効果を検討した調査では、技法の違いによる優劣の差は示されていない(←出典は聞き逃した)。但し、セラピストの個人差は顕著であり、おおむねセラピストの10〜15%は顕著な治療効果をあげる一方、10〜15%は無能でありクライエントを逆に悪化させ、残りの70〜80%は同程度(←似たり寄ったりということか)。
  4. 完治した元クライエントに聞き取り調査を行ったところでは(←出典は聞き逃した)、クライエントはしばしば、セラピー開始時に約束された効果とは違った効果を口にしている(←あくまで長谷川が思いついた例であるが、セラピー開始時の達成目標は「慢性不安の解消」が目的だったはずなのに、完治時に報告された成果は「人を信じられるようになってよかった」に変化している場合など)。
 以上のところまでの感想であるが、サイコセラピーを含めてセラピー一般についての私の考えは、以前、スキナー以後の行動分析学(10) 高齢者福祉におけるセラピーの2つの役割 〜心理学はどう関われるのか〜(2001年)という小論で述べた通りである。

 脳の病気に起因する急性期の精神的混乱や、事件や災害による心的外傷などからの回復をめざすという、治療目的のセラピーにおいては、私はあくまで、evidence-basedな効果検証が求められると考えている。またその場合は、保険診療の一環として、医師の指示のもとで有資格者がその役割を担っていくべきである。

 しかし、こちらでも論じたように、例えば、高齢者の生きがいをサポートするためのセラピーの場合は、セラピーは治療目的のための手段ではなく、それ自体が目的になりうると私は考えている。後者のケースでは、短期的・単一・断片的な効果検証ばかりに囚われることなく、より長期的・全人的で多様な効果に注目していく必要がある。また、後者の「効果」の現れ方は個々人によって異なる。平均値の有意差などで検証できるものではない。ナラティブセラピーに効果があるとしても、後者の視点を重視すべきである。

 セラピーの問題に限ったことではないが、そもそも、真の健康保持というのは、病気を治すことではない。いったん病気になってしまった時の治療はevidence-basedであるべきだが、常日頃の健康保持を支えるセラピーは、もっと自由度が高く、何よりも「それに参加すること自体が楽しい」ものでなければならない。どういうセラピーを選ぶかということは、実施者の都合や信念に頼るのではなく、クリティカルシンキングの目をもった賢い利用者(=消費者)側の自由選択に委ねればそれでよいのではないか。もちろん、誇大な宣伝、捏造(←成功談のでっち上げなど)、違法な商法には目を光らせる必要があるが、根絶させるというわけにもいくまい。神様仏様にすがることや占い師に人生相談を持ちかけることは社会的に広く受け入れられているが、所詮evidence-basedな宗教法人などはあり得ない。サイコセラピーだけがevidence-basedでなければならぬと別扱いにする必要もなかろう。


 次回に続く。