じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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大学構内各所でツツジの花が見頃となってきた。今年の景観上の特徴は、先日の統一地方選挙・後半戦(岡山市会議員選挙)のポスターが未だ残っていること。当選者も落選者も相変わらず笑顔をふりまいている。 [※4/28追記] この写真は4月27日夕刻に撮影したものであったが、4月28日朝には選挙看板は撤去されており、「貴重な」記録画像となった。 |
【思ったこと】 _70427(金)[教育]第13回大学教育研究フォーラム(15)心理学者,大学教育への挑戦7−グループ活動を含む初年次教育の実践−(4)知識叙述型と知識構成型ライティング フォーラム2日目の夕刻に開催されたラウンドテーブル企画: ●心理学者,大学教育への挑戦7 −グループ活動を含む初年次教育の実践− の参加感想の4回目。 このラウンドテーブル企画では、IT氏の話題提供に引き続き、3氏から指定討論が行われた。このうちIN氏の指定討論は実質的に2番目の話題提供という印象を受けたが、その中にはいくつか重要な内容が含まれていた。 まず、「学習の転移」という問題。例えば「基礎科目」、「大学基礎講座」といった初年次教育でレポートの書き方をじっくり指導したとする。しかしそこで身に付くのは「型通りに体裁よく書ける」という「基礎基本型」にとどまり、柔軟で発見的で創造的な「応用発展型」のレポートが書けるようにはならない。IN氏は、応用発展型が書けるようになるためには、「第二の転移」(「第一の転移は、基礎基本型において、模倣や知識の積み上げや反復学習がもたらす転移)を促す教育が必要であると論じられた。もっとも、そこで引き合いに出されたのは、
IN氏はさらに、初年次教育において、知識の構造化につながるデザインとして、メタ認知=他者の視点を磨く「グループ活動」のデザインと、授業や学問から得た様々な学習経験を自分の経験に基づく主観的知識として再体制化する(←たぶん、これが「社会構成主義の転移観」という意味なんだろうが、自分の経験を取り込むことは、必ずしも「主観的知識」ということにはならないと思うんだがなあ)ためのカリキュラムのデザインの重要性を説かれた。 IN氏はスライドで、垂直軸として「知識の広がり:一般性←→専門性」、水平軸として「教育の質:生産的←→生成的」を挙げ、これらが直交する4象限の中に、専門教育(専門性+生成的)、専門基礎教育(専門性+生産的)、初年次教育・導入教育・リメディアル教育(一般性+生産的)、高度教養教育・教養教育(一般性+生成的)を位置づけておられた。このあたりは大いに参考になった。もっとも私の大学などでも、教養教育として行われている授業のかなりの部分は、専門基礎教育とかぶっており、「一般性+生成的」内容を含む教養教育というものが行われているかどうかは確信できない。そういえば、IN氏の御所属は、こちらで取り上げさせていただいた大学と同一であったようだ。御所属先の大学ではおそらく、リベラルアーツを「一般性+生成的」としてしっかり位置づけておられるのだろう。 ちなみに、上記の4象限の枠組みは、ライティング指導の授業形態にもそのまま当てはまる。すなわち、
この分類は概ね理解できたが、高度教養教育・教養教育のところに大福帳(教員と学生の双方向の交換日記のようなもの)が挙げられていたが、これは現実にはかなり難しいと思う。私のところでもほぼ同じ形式のシャトルカードを使っているが、100人規模の講義で授業のたびに教員側から個別にフィードバックするというのはかなりの労力を要するものであって、週に5コマ以上を教えている限りにおいては不可能に近い。 次回に続く。 |