じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
耐震補強工事中の時計塔(岡山大学附属図書館)。2月13日の写真と比較すると、内部に鉄骨が補強されていることが分かる。
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【思ったこと】 _80301(土)[教育]大学教育改革プログラム合同フォーラム(15)大学院教育改革支援プログラム(3)人社系「タコツボ教育」のメリット、デメリット 大学院教育改革支援プログラム、あるいはその前身となる「魅力ある大学院教育」イニシアティブの狙いの1つは、「タコツボ教育」からの脱却ということにあったのではないかと理解している。これは平たく言えば、以下のようになるかという。
理工系や医療系の大学院教育において、教育課程の体系化・実質化が必要であることはよく理解ができるのだが、このことをそっくり人社系にあてはめると無理が生じる。このことは、2月3日の日記や、2月20日の日記に言及した通りである。2月20日の日記の繰り返しになるが、人文社会系では、むしろ、それぞれの教員の個性的な魅力に惹かれて学問を深め、「あの時、あの先生にあのように言われたことが、今の道に入る契機となった」と回想される場合もある。また、人文社会系の学部出身者で現に活躍している著名人諸氏のご経歴を拝見すると、必ずしも、大学の学部時代に綿密で体系的な学士課程教育を受けておられたとは限らないところもあるように思える。となると、少なくとも人文社会系の大学教育においては、必ずしもタコツボ型の教育が悪いとは言えないのではないか、という気がしないわけでもない。 こういう疑問もあったので、今回の分科会の質疑の時間に、わざと ●人社系では、実質化された教育課程よりも、魅力ある教員に惹かれて研究者として育つこともある。いっそのこと「名物教授100人選定」というような支援策があっても良いのではないか? というような「引っかけ」っぽい質問をさせていただいたが、「そういう考え方は古い。今のような質問があったことを反面教師として今後の教育改革に取り組みましょう」(←文言は長谷川の記憶に基づくもので不確か)と一蹴されてしまった。 いや、「タコツボ型教育」の弊害は、私も十分にそのことは承知しているのだが、理工系や医療系の人材養成モデルを人社系にそっくりあてはめることにはやはり無理があるように思う。 余談だが、「タコツボ教育」というのは一般には
いっぽう後者は教育方法に関するものである。確かに、後継者再生産型では問題があるが、個人指導を重視した研究指導はやはり必要である。教員の役割を教育課程における代替可能な一部品にとどめている限りでは、師弟間の信頼関係は醸成されない。それでよいのだろうかという疑問は残る。 [※追記]今回の分科会では、「教員の研究活動と学生に対する教育が渾然一体」、「幅広い基礎知識や社会人として必要な素養が涵養されにくい」といった問題点が挙げられ、「学生に対する教育が研究室の中で完結」しているという現状が「タコツボ的」教育環境と表現されていた。 分科会の席上で、 ●大学院教育をしっかり実質化しないと、優秀な大学院生は皆、海外に流出していまう というようなご発言があったと記憶している。欧米の大学院教育が日本とは比較にならないほど実質化されたものであることは承知しているけれども、私が知りうる心理学の分野では、著名な心理学者に師事したいがゆえに海外の大学院に入学(あるいは研修)するというケースが少なくないように見受けられる。「タコツボ教育か教育課程重視か」と言われれば、これってやっぱり、タコツボ型に近いように思うのだがどうだろうか。 ※余談だが、Googleで「タコツボ教育」を検索すると、25700件がヒットするが、なぜかそのトップには「じぶん更新日記」というのがランクされている(2008.3.1.現在)。オイオイ、なんで私の日記がそんなに注目されなければならないんだ!? 次回に続く。 |