じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
9月8日は秋晴れの空となり、夕刻には飛行機雲がいっぱい見えた。秋分の日が近づき、太陽が真西に近い方角から沈むようになったため、日没直前に写真のような光景が見られるようになってきた。
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【思ったこと】 _80908(月)[一般]職員定期健診その後/健康管理は手段か目的か 昨日の日記に書いた通り、9月8日(月)の午前中に職員定期健診を受診した。詳細な結果は2〜3週間後に通知されるはずであるが、測定時にすぐに分かるデータに限って言えば、あまり芳しい結果にはなっていない。
BMIは僅か0.1のオーバーで「肥満1度」に分類されることになってしまった。また、日本肥満学会(JASSO)基準(2005年) では、腹囲男性85cm以上がメタボ診断の3要件の1つになっており(※)、これも僅かながら超えてしまった。 [※9/9追記] メタボ、国際基準統一へ おなか優先、日本だけにという記事もあるので、「腹囲 86.1cm」の私がメタボに相当するとは必ずしも言えないかも。 視力はこれまでずっと左右1.2以上を保ってきたが、今回初めて1.0に低下した。朝方パソコンを使って目がショボショボになっていたのも一因ではあるが、経過観察が必要。このあいだラジオの健康番組でも言っていたが、50歳代半ばからの視力低下はいろいろな目の病気の始まりの可能性があり注意が必要である。 上記のような非正常値がいくつかあるものの、私自身は、同僚同世代の教職員の中では、健康管理をきっちりやっているほうだと自負している。しかし、私は、健康保持を最優先にして生きるというような健康至上主義者ではない。特別に長生きしたいとは思わないし、病気になったからといって直ちにすべての生きがいを喪失するというように考えているわけでもない。 ところで「健康」には少なくとも2つの定義があると言われている。そのうちの1つは、非常に狭い定義であり、要するに 病気や怪我などで苦しんでいないこと。 というな状態である。この定義は一般的には受け入れられておらず、対立仮説的に使われることが多いけれども、保険医療が適用されるかどうかは、概ねこの基準で判断されているのではないかと思われる。 いっぽう、世界保健機関の1999年総会における健康の定義は、 健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。となっており【ウィキペディアの当該項目より引用】、より広い、ポジティブな内容を含んでいる。もっとも、具体的にどういう状態であれば、「身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態」と言えるのかは、個々人、社会、文化などによってもマチマチである。現実には、相対的に見て著しく「良好でない」という地域や個人に対して支援が行われている。 いずれにせよ、後者の定義に従うのであれば、健康の保持こそが生きがいであるということになる。 もっとも、1人の人間が1日にできる行動の種類や量は限られており、ある行動を重視すれば、相対的に別の行動に費やす時間は減らされてしまう。狭義の健康保持に有用であるとされる行動も、日常生活諸行動の一部として組み込まれ、優先順位をつけて実行されていくことになる。そういう意味では、それ自体が目的となるような行動もあれば、何かを達成するための手段としての行動といもありうる。 例えば、妻からもたまに勧められているのだが、山登りに出かける代わりに近くのプールに泳ぎに行けば、もっと効率的に体重・体脂肪削減が達成できそうな気がする。しかし、水泳好きの方には失礼になるが、私自身は、ああいう狭い場所で、同じ動作を何度も繰り返すというのは時間の無駄のような気がしてならない。同様な理由で、屋内でフィットネス・トレーニング機器を使って健康管理をするというのは、少なくとも私にとっては時間の無駄以外の何物でもない。 私自身が毎日2回散歩に出かけるのは、もちろん、健康保持の目的もあるが、早朝であれば日の出前後の風景、夕食後であれば夜空の星や馴染みの猫に出合うというような、「行動内在的な好子(強化子)」によって強化されている部分が多い。 山登りも同様であり、近くの龍ノ口グリーンシャワー公園の山に登る目的は
しかしそれにしても、職員定期健診で全く成果が出ないとなると、PDCAサイクルに基づく改善がやはり必要となる。特に、食生活方面での改善についてプランを検討したいと思っている。 |