じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 9月15日は敬老の日であった。敬老の日というと、これまではお祝いを述べる立場にあったのだが、その私も来月には56歳となり、しだいにお祝いを受ける立場に近づきつつある。

 写真上は、ツマグロヒョウモンの交尾。写真下は、蜘蛛の巣にかかったセミ。

 ツマグロヒョウモンに比べて、セミの最期はいかにも無念という感じがするが、ジョロウグモにとってはこれが至福の時であるとも言える。いずれにせよ、ツマグロヒョウモンもセミもジョロウグモも今年の冬までに死んでしまうことには変わりない。



9月15日(月)

【思ったこと】
_80915(月)[教育]桃太郎フォーラムXI:受けたい授業を創る:教授法改善のヒント(3)授業応答システム”クリッカー”による能動的学習授業(2)

 昨日に続き、鈴木氏による

●授業応答システム”クリッカー”による能動的学習授業−簡単に実現する双方向性授業−

という話題提供に関して感想を述べさせていただくことにしたい。

 すでに何度か述べたことであるが、“クリッカー"が大学の授業改善に有効かとうかという一般的な議論はあまり意味が無い。重要なことは、どういう学生に、どういう授業で、どういうタイミングで使えば効果を発揮できるかという点にある。

 このうち、学生のレベルということに関しては、鈴木氏の講演の中でアメリカでのFD活動の流れについて言及があった。
  • 1960年代 「学者の時代」 すぐれた研究者イコールすぐれた教師
  • 1970年代 「教師の時代」 ベビーブームによる学生数増加 研究と教育の考え方の分離
  • 1980年代 「FD開発者の時代」 FD活動の組織確立。予算も増加
  • 1990年代 「学習者の時代」 大学のユニバーサル化 どれだけ教えたかではなく、どれだけ学んだか
 日本の大学では年代は10〜20年ほど遅れているようなふしもあるが、とにかく、今の時代は学習者の時代であり、「教員は、理解できる学生数を最大にするような授業を行うこと」を念頭に授業を進めていかなければならない。これがすなわち「大規模授業の民主化」や「学生と教員とが共に成長し、共に輝く授業」の実現にも繋がるというわけだ。

 もっとも、この考え方から直ちにクリッカー導入が正当化されるわけではない。授業内容が分かりにかった場合、もちろん、その内容を分かりやすくするために最大限の努力をすることは必要であるが、このほかに
  • 予習・復習をどのような形で徹底させるか
  • 習熟度・理解度に合わせたクラス編成
  • 伝授型の講義と、プロジェクト型演習の併用
といった工夫も考えられる。

 鈴木氏の話題提供では、こうした点に関連して、能動的学習授業とはどのようなものかについても言及された。そのやり方には、10通り以上の方式があり、特にHarvard大学やMTIで実施されている方式が知られているという。いずれも、「自ら考え、議論することが中心」、「学生の疑問にリアルタイムでフィードバック」という特徴を備えている。

 しかし、能動的学習授業は殆どの場合に難があるという。すなわち、教え方の上手な教員が担当すればうまく運用できるが、下手な教員ではむしろ一方的講義のほうがマシだと言われる。また、概念の定着率は高いといっても、時間がかかるなど効率性に問題があるようだ。

 いっぽう、クリッカーによるクイズ形式の授業では運用が非常に楽という利点がある。ちなみに、単にクイズをするだけならば、挙手やプラカードでもよいが、クリッカーのほうが、匿名性、返報性に優れていると言えるだろう(2007年12月13日の日記参照)。

 クリッカーを導入して講義を行うということは、結果的に、
  • 対話型の問いかけの場をつくる
    →受講生と共に考える場、時間
  • 15分に1度程度のまとめ
    →クイズを出す必要上、その前にまとめが必要
  • リアルタイムフィードバックの効果
    →受講生自身は、周りの人がどの程度理解しているのかが分かる。自分だけ間違えていれば必死に理解しようとするし、皆が間違えていれば安心する。また教える側にとっては、受講生の理解度をリアルタイムで把握しながら、説明の量を増やしたり減らしたりすることができる。
といった効果が期待できる。

 反面、クリッカーを導入した授業では
  • 込み入った問題は出せない。
  • 問題を解く力は向上するが、企画力は育成できない。
といった欠点もある。それを補うために、Webによる小テストやリポート出題、クイズ問題を作ること自体を宿題にするといった工夫も行われているということであった。




 なお、2007年12月14日の日記(続編あり)でも述べたが、クリッカー活用の理論的根拠については、私個人はしっくりこない点がいくつかある。但し、どのような理論に依拠しても、実践場面で決定的な違いをもたらすということはあまり無さそうだ。実践場面での効果検証サイクルがしっかりしていれば、理屈はむしろ後付けでも事足りる。諸々の学習モデルや記憶理論などは啓蒙普及のための説得ツール(=権威づけ)にしかならないという気がしないでもない。


 次回に続く。