じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
9月20日の朝に少々時間があったので、北大植物園に行ってみた。過去アルバムを調べてみたら、前回ここを訪れたのは1997年7月であり、31年ぶりであることが分かった。他の場所もそうだが、何十年も経つと、その場所の環境自体の変化があるため、なかなか記憶を取り戻すことができない。 そんななか、唯一、記憶が蘇ったのが、エゾオオカミ2体の剥製であった。写真下は、1997年7月に訪れた時に撮影した、そのうち1体。保存ケースや、オスとメスの配置は昔とは変わっているように見えた。剥製自体は同一と思われる。 |
【思ったこと】 _80921(日)[心理]日本心理学会第72回大会(3)乱数生成課題研究の応用的展開に向けて(3)ウナギのように泳ぐか、トビウオのように泳ぐか? 連載の3回目。 まず、昨日の喩え:
についての補足。 さて、「なるべく魚のように」と言われた場合、被験者はどのような行動を示すであろうか。これは、実験条件(実験環境、量的な条件)や、被験者自身の「魚」のイメージの違いによっても変わってくると思われる。 例えば、その実験が50mプールで行われたとすれば、「魚のように泳いてください」と言われた被験者は、とにかく、魚と似たような泳法で泳ぎ切ろうとするであろう。しかし、実験が川や海、あるいは無重力の国際宇宙ステーション内で行われた場合には、行動の中味は変わってくる。元の乱数生成課題にあてはめれば、乱数を声に出して言うか、紙に書くか、ボタンを押すかといった違いがこれに相当する。 次に、「魚のように泳いで」と言われた被験者が、どのような種類の魚を「代表的魚」と見なしているのかという問題がある。ウナギをイメージしている人は、体全体をくねらせる。深海魚をイメージしている人は、プールの底にできるだけ深く潜って泳ぐ。カレイをイメージしている人は、たぶん仰向けになって泳ぐし、トビウオをイメージしている人は、何と言ってもバタフライであろう。乱数生成課題で「なるべくでたらめに」と言われた被験者の場合も同様であり、等頻度性を重視する人もいれば、円周率を丸暗記して「3141592653...」とその順に声に出す人もいる。また、「無限の桁数の乱数表の中には1が続けて1万回出現する可能性も否定できない」と、常に「1」だけを生成する頑固な人もいるかもしれない。 「なるべく速く、なるべくでたらめに」という言語的教示は、被験者が「でたらめ」という概念を理解し、かつ、「でたらめの基準」を満たすために最大限の努力をするという、被験者の善意を前提としている。しかし、このことについては、すでに何十年も前から、困難性が指摘されている。 次回に続く。 |