じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
秋分の日の彼岸花。右側はシロバナマンジュシャゲ(白花曼珠沙華)の一種。 一昨年、ほぼ同じ場所で撮影した写真が楽天版(2006.9.24.付)にあり。今年は雨が少なく、一部の株は9月上旬から咲き始めていたが、けっきょく、お彼岸の中日がいちばんの見頃となった。さすが彼岸花である。 |
【思ったこと】 _80923(火)[心理]日本心理学会第72回大会(4)乱数生成課題研究の応用的展開に向けて(4)研究の目的対象なのか、研究の手段なのか? 連載の4回目。 乱数生成課題を考えるもう1つのポイントは、それ自体が研究目的対象なのか、それとも、何か、ある種の行動(あるいは、能力、機能など...)の一般的な法則を発見・検証するための研究手段なのか、という点にあるように思う。 ここでまた少々脱線するが、例えば「100メートル競走」という行動を検討する場合にも、それ自体を研究目的するのかを、それとも、「走る」という行動を分析するための手段として研究するのか、によって、アプローチの仕方が変わってくる。 言うまでもなく、ウィキペディアの当該項目にもあるように、100メートル競走とは、100メートルをいかに短い時間で走るかを競う陸上競技の1種目であり、2008年9月23日時点での世界記録は、男子が9秒69(ウサイン・ボルト)、女子が10秒49(フローレンス・ジョイナー)などとなっており、中学や高校の教育にも広く取り入れられている。従って、100メートル競走それ自体を研究目的対象とし、どうしたらいかに速く走れるようになるのかを検討することは社会的ニーズを満たすものであり、研究の意義は十分にあると言うことができるだろう。 しかし、「走る」という行動の一般的な法則性を検討する、というもう1つの立場から見れば、100メートルという距離自体は、現在は1秒の299 792 458分の1の時間(約3億分の1秒)に光が真空中を伝わる距離の100倍というだけで特別の意味があるわけではないし、また、100という数字も、我々がたまたま10進法を使っていることから出てきたキリのいい数字であって、100メートル競走が、99メートル競走や101メートル競走に比べて特段の意味を持つということにもならない。もし、「走る」という行動自体を実験的に検討する必要が生じたとしたら、例えば、20メートル、40メートル、80メートル、...というように別の走行距離の条件を設定したほうがシステマティックな分析ができるかもしれない。その場合は、100メートルという距離条件は、あっさりと捨てられる。 元の話に戻るが、もし、0〜9、あるいは1〜10を使った乱数生成課題自体を検討することに特段の意義や社会的ニーズがあるとするならば、そこで生成される数字列にどのような特徴(数学的な乱数列と比較した時の偏り)があるのかを詳細に検討することはきわめて重要である。 しかし、本来の研究目的が、でたらめに振る舞うこと(←行動分析学で言うところの「選択行動の変動性」)にあるという場合は、10進数の乱数を生成するという課題は研究手段の1つに過ぎないということになり、もっと良い検討手段があればそちらに乗り換えるということは十分にありうる。 例えば、板垣氏のご研究の中でもしばしば報告されているように、10進乱数生成課題では、「1、2、3、4、5、6、...」や「7、6、5、4、3、...」というように、自然数の順序あるいはその逆順の数列が特徴的に出現することがある。10進乱数生成課題それ自体を研究対象(目的)とする立場から言えば、そのパターンや頻度を研究することは大いに意義があると言える。しかし、選択行動の変動性一般を研究するという立場から言えば、自然数の順序の影響というのはむしろノイズであり、もしそれが深刻に影響を与えたり個体差を大きくする要因になっているというのであれば、おそらく、別の手段に乗り換えるという方法をとるだろう。例えば、「赤、白、緑、青、黄、黒」を次々と声に出して選ぶという選択課題であれば自然数順序の影響は受けないであろう。「ゾウ、キリン、シマウマ、カバ、ライオン」でも同様である。 なお、上記の「研究目的対象」vs「研究手段」という対立軸は、あくまで行動変動性という枠内における区分であった。その枠の外との関連性をさぐる研究、例えば、
●10進乱数生成課題は、適性テストや記憶研究手段として有用である という十分条件が示されればそれでよく、「なぜ10進乱数なのか、色名や動物名を選択肢としてはなぜダメなのか」といった必要条件を示す必要は必ずしもない。あとは、有用性の高さをどこまで示せるかという相対比較の問題になる。 次回に続く。 |