じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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10月26日(日)の新聞に「熱烈応援感謝セール 夢をありがとう」というチラシが入っていたが、うーむ、いまさら「夢をありがとう」と言われてもなあ。ちなみに私自身はすでにプロ野球観戦界から引退しているので、どこのチームが優勝しようが私の人生には全く関係が無い。それはそれとして、阪神タイガースの勝敗と日経平均株価の連動性はほぼ実証されたと言ってよいだろう。しかしもはやこれ以上阪神が負けることはないので、株価のほうもボチボチ上を向いていくのではないだろうか。
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【ちょっと思ったこと】
2週連続で自宅療養の週末 昨日の日記で、首の横からリンパ腺、頭頂部にかけて突発的に頭痛は走るという風邪の症状が出ていると書いた。土曜日は外出を最小限にして自宅療養につとめたが、26日(日)になっても、まだ症状は治まっていない。健康管理のため毎週土日にはできるだけ山登りに行くように心掛けていたのに、これで2週連続の休止となった。歳をとったせいだろうか、どうも、自己治癒力が衰えているようだ。 |
【思ったこと】 _81025(土)[一般]写真を撮ること、整理すること 上にも書いたように、土曜日は、家の中で旅行写真などを整理しつつ時々横になったりして自宅療養につとめた。この日に新たに作成したフォトアルバムはこちらに追加されている。よろしかったらご覧ください。なお、アイスランドを勝手に応援する企画のほうもいくらか写真を追加したが、こちらは写真保管庫を「楽天ブログPlus」としているため、1日制限2MBにひっかかって6枚分しか追加できなかった。日頃はそんなにたくさん写真をアップすることはないのだが、こういう休養時に使えないのは困る。1日2MB制限ではなく1カ月60MB制限にしてくれたほうがありがたいのだが。 ところで、写真と言えば、10月25日朝5時40分からのNHK「あの人に会いたい」という番組で、写真家の林忠彦氏が、「アマチュアの人物写真は割合に出会い頭に撮った写真が多い」と言っておられたのが印象に残った。要するに、一人の人間の特徴をとらえる写真を撮るには、最初に会った瞬間ではダメで、何年もかけ、その人ともお付き合いして、やっとのことで良い写真が撮れるということらしい。川端康成氏の写真をとるまでには20年もかかったというから驚きである。 そういう意味で言えば、私が撮るデジカメ写真などは、枚数ばかり多いわりに、傑作は少ない。もっともこれはデジカメだからこそできることである。番組でも言っておられたが、当時は室内で写真を撮るためにはフラッシュバルブ(閃光電球)が必要であった。バーで太宰治氏の写真を撮った時には、それが1個しか残っていなかったというから本当に真剣勝負である。しかも、デジカメと違ってフィルムを現像するまでは出来具合は分からない。 私自身は、人物写真は殆どとらない。海外旅行先でも、自分自身が写っているのは1日に数枚程度。また最近では肖像権の問題が厳しくなっているので、仮に人の顔が写っていてもその部分にぼかしをいれてWeb公開するように心掛けている。私がよく撮る、自然風景や植物の写真は、基本的には動きが少ないので、撮影のタイミングに気を遣う必要はない。それでも光りの加減や、全体の構図などで気に入らないことが多く、翌日に撮り直しに行くということも少なくない。このWeb日記や、楽天版に毎日掲載している写真も、実際には、それぞれ10枚前後撮影した写真の中からいちばん良さそうなものを選んでアップしている。ちなみに、私が10月1日〜25日までに撮影したデジカメ写真の総数は836枚、1日当たり33枚となっている。旅行の多かった9月などはもっと多くて、1カ月合計で2539枚、1日当たり84枚にのぼっている。 写真を撮るというのは、その時だけの行為ではない。後日、その時のことを思い出したり、定点観測で変化を楽しんだり、何年も前の写真と比較してみるといった別の楽しみもあり、むしろそういう時間的な厚みをもたせることにこそ本当の価値があるように思われる。例えば9月29日の楽天版に載せた、樽前山や雲仙普賢岳の写真なども、単に、頂上に登って景色が良かったということではなくて、31年前(樽前山)や18年前(普賢岳)との比較があるからこそ自分にとって価値が出てくるのである。 山歩きや園芸活動は、いずれ歳をとって体力が衰えてくるとしだいに同じレベルの活動を維持することが困難となるが、写真を分類整理、比較するだけであれば、寝たきりになってもまだまだ可能ではある。もっとも、1日中写真を整理することが、山歩きや園芸活動の代替になるかどうかはまだまだ確証が無い。土曜日1日、自宅療養をしながら実際に写真整理にとりかかってみたが、まずとにかく、風邪で頭痛がするような状態のもとでは何をやってもシンドイのは当然。将来、私が寝たきりになった時にも、単に体が動かせないというだけでなくて、いろいろな部位に不快な症状が出てくるであろうから、それを克服して何かに熱中するというのはそう簡単にできるものではない。末期癌の患者さんが、芸術・創作活動に取り組んでおられる映像を何度か拝見したことがあるが、外見上はにこやかな表情をされておられても、本当はかなりツライ状態にあるのだろうなあと思う。「補償をともなう選択の最適化」理論(SOC理論、SOCは「Selective Optimization with Compensation」の略)などと言っても、根底にはしんどさ、辛さがあることを忘れてはなるまい。 |