じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  2008年版・岡山大学構内の紅葉(8)イチョウ並木の黄葉の違い

 昨日の日記に岡大・南北通りのイチョウ並木の写真を掲載したが、岡大構内にはこのほか、農学部・薬学部の東西南北の通りにイチョウ並木があり、まもなく黄葉の見頃を迎えようとしている。
 写真は10月31日の状況。写真AとBは東西方向の通りで一続きになっており、AのほうがBより西側に位置している。Aは日当たりがよいことと、比較的樹齢が若いせいか、まだ青々としている。Bは農学部の建物の南側であり、黄葉はまばら。Cは、薬学部西側の南北通りであるが、東側のほうが先に黄葉している。なお、写真Cの左端の樹木は、「岡大七不思議」の1つ、「落ちないイチョウ」(昨年の写真はこちら)であり、岡大構内では黄葉の時期が最も遅く、年末になってもまだ葉を残していることがある。


10月31日(金)

【思ったこと】
_81031(金)[心理]日本心理学会第72回大会(30)well-beingを目指す社会心理学の役割と課題(2)コヒアラント・アプローチによる主観的Well-Beingの個人差の探求(1)

 シンポではまず、堀毛氏による

Well-Beingを目指す社会心理学の役割と課題〜コヒアラント・アプローチによる主観的Well-Beingの個人差の探求〜

という、副題に少々難しい言葉が含まれる話題提供があった。

 堀毛氏は、まず、ご研究の背景として、メインストリームとなる伝統的な特性論について言及された。主な論点は、特性の相違が個人差につながること、生涯発達的、通状況的に機能するような特性を同定することの是非についてであった。




 ここで少々脱線するが、特性論については、2006年に書いた総説(こちら)で、Vyseの

Vyse, S. (2004). Stability over time: Is behavior analysis a trait psychology? The Behavior Analyst, 27, 43-53.

という論文に言及したことがあった。この「trait psychology」は、今回話題提供で言及されている特性論とほぼ同じ意味といってよいだろう。中長期的にある程度一貫しちて状況の違いの影響をあまり受けないような行動傾向は、一般にその人の特性であると考えられる。但し、そういう一貫性が個人に属する特性なのか、それとも、その人の周りの環境や強化機能が安定しているからなのかは、直ちには判断できない。複数の人々が、同じ環境に置かれて違うことをした時には、「性格が違うからだ」などと解釈されがちであるが、そもそもそれらの人が同じ環境に置かれているのかどうかは疑わしい。それぞれの人が置かれているのは、「同じ」と見える全体環境の中の部分集合としての環境にすぎず、その部分集合に違いがあれば、違う行動をするのは当然である。しかしそれはそれらの人たちの特性の違いではなく、部分集合としての環境の違いに起因しているかもしれない。また、例えば政治家が一貫した行動をとろうとするのは、その政治家個人が首尾一貫という特性をもっているからではなく、一貫した行動をとらないと支持が得られず、かつ一貫した行動を示すという行動が強化され続けているからであるとも解釈できる。




 元の話題に戻るが、堀毛氏は、特性論的理解への批判として、Mischel(1968)を代表とする人間−状況論争(1968〜1990年代)について言及された。なお、このMischelの著書は、

Mischel,W. 詫摩武俊監訳:Personality and Assessment.Wiley,1968. パーソナリティの理論〜状況主義的アプローチ,誠信書房,1993

として刊行されているが、Amazonの情報では、「この本は現在お取り扱いできません。」と表示されていた。なお、その本の翻訳にも携わっておられた渡邊芳之氏の関連論文がこちらから閲覧可能である。

 次回に続く