じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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紅葉見物で思わぬ出費
楽天版に記したように、11月9日(日)の午後は夫婦で高梁自然公園まで紅葉見物に出かけた。この公園は入場料無料、岡山空港・賀陽経由の一般道を通って行かれるため、ガソリン代以外にはお金がかからないはずであったが、行きがけに2箇所の農産物直売所で買い物したため、思わぬ出費となってしまった。もっとも、さすが果物王国おかやまである。なんでも安く手に入る。
なお、高梁自然公園の写真は随時、おでかけガイドの特設アルバムに追加していく予定。 |
【思ったこと】 _81109(日)[心理]日本心理学会第72回大会(37)well-beingを目指す社会心理学の役割と課題(9)コヒアラント・アプローチによる主観的Well-Beingの個人差の探求(8) 話題提供の後半では、クラスタ分析やパス解析に基づく様々な結果が紹介されていたが、私自身がこの方面の研究の流れを熟知していなかったことと、ご発表時間が限られていたこともあって、内容を十分に理解することはできなかった。 そうした不十分な理解のなかでの感想であるが、ここで言われている「コヒアラント」とは、どうやら、 人間の行動傾向や充実感には、場面や関係性を超えた固定的な一貫性は見られない。よって、伝統的な特性論的理解はもはや破綻してしまっている。しかし、「if-then」型で条件付きで記述すれば、やはり、一貫性が認められる。という観点を推し進めたものであり、例えば、Aさんが何人かの人たちと一緒にお酒を飲んでワイワイするという場合を考えた場合、
このことでふと思ったが、こうした捉え方では、充実感というのは、個々の場面や関係性の中で単独かつ断片的に発生し消失していくということになりはしないだろうか。しかし、ある長期的なスパンの中で人生を顧みたり、複数の行動の連関や相互作用として捉えてみた時には、より大きな充実感が得られるということもある。例えば「楽あれば苦あり、という起伏の多い人生こそが充実感を与える」と言った場合、「楽あれば苦」の中の「苦」は単独で評価すればどうみても充実感の得られる場面とは言い難い。いっぽう「楽」もその場面だけで楽しむのではなく、楽と苦のコントラストがあって初めて価値が出てくるというようにも見える。 おそらく、いま例示したような見方は、「苦労や努力から培われる意義(eudaimonic well-being)」(11月4日の日記参照)を対象とした研究の中で重視されてくるのであろう。今後もこのあたりの文献を読んでいきたいと思っている。 次回に続く。 |