じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



11月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§  ベタを飼い始めたのは2002年6月7日のことであった。その後、生まれた子どもと、新たにペットショップから買ってきた個体をつがいにしたりして世代交代を繰り返している。

 写真は、昨年からずっと飼っているつがい(写真下)と、その子ども(黄色の円内)。つがいのほうは今年で3歳になるのでそろそろ寿命ではないかと思う。このくらいの歳になると一緒に飼っていても喧嘩しない。子どものほうは、生まれたことに気づかないままこんなに育っていた。さっそく、つがいのほうを別の水槽に分離した。


11月21日(金)

【思ったこと】
_81121(金)[心理]日本心理学会第72回大会(48)well-beingを目指す社会心理学の役割と課題(18)まとめ

 昨日の続き。

 シンポの最後に、企画者・司会者でもある大坊郁夫からの指定討論があった。私自身のメモによれば、論点は、
  1. ミクロ・マクロのwell-being
  2. Well-beingを磨く
  3. 国民総幸福量(GNH、Gross National Happiness)との関連
ということであったようだが、なにぶん、シンポから2カ月も経過してしまったため、詳細な記憶は失われてしまった。

 このうち、1.のミクロ・マクロというのは、個人単位のwell-beingと社会全体との関係に関することであった。2.の「Well-beingを磨く」というのは、「自己の把握」、「基礎力(コミュニケーション・スキル)」、「対処力」、「調整力(柔軟さ)」をどう磨いていくのかということであった。3.のGNHには、「基本的な生活」、「文化の多様性」、「感情の豊かさ」、「健康」、「教育」、「時間の使い方」、「自然環境」、「コミュニティの活力」、「良い統治」などが含まれているというようなお話であったが、well-beingが重視されるようになってきたという意味だったか、別のことを主張されていたのか、残念ながら記憶に残っていない。いずれ、御著書などを通じて確かめさせていただこうと思っている。

 ということで、このシンポについての感想・メモを終わりにさせていただくが、今回のシンポや、他の学会・研究会で得たこと、各種文献を総合した上で、現段階で私自身が考えるwell-beingは、以下のような形で固まりつつある。
  1. まず、基本的な前提として、安全であること。安全が脅かされる状況のもとではいかなるwell-beingもあっさりと瓦解してしまう。もっとも残念ながら、我々は100%安全な状況を保つことができない。戦争、環境破壊、犯罪、食品安全、飢饉、事故、病気、さらには、昨今の金融危機のあおりをうけて、老後の安定した収入すら脅かされる状況にある。現実には、「安全であること」は絶対的前提ではなく、「できるだけそうあることが望ましい」程度の条件にせざるをえない。
  2. 何かにワクワクすること。これは、ドーパミン系の喜びである。但し、今回のシンポでも言及されていたように、その中味には、おそらく、「苦労や努力から培われる意義(eudaimonic well-being)」と、「快楽や満足感などの幸福(hedonic well-being)」という2つがある。前者の「ワクワク」は主として、主体的・能動的な関わりの中で実現される。直接体験が必要だが、映画やドラマなどを通じて「共感」する場合もありうる。
  3. セロトニン系の癒し。安心。安寧。不安の無い状態。上記の2.のようなワクワクだけでは人間はやっていけない。というか、人は皆いつかは死ぬわけで、死ぬ間際にはワクワクではなく、安らぎを得ることのほうが必要。


 次回に続く。