じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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12月30日(火)

【思ったこと】
_81230(火)[心理]日本園芸療法学会第1回大会(14)広井氏の話題提供(2)

 広井氏の話題提供の後半は、園芸療法とコミュニティに関する内容であった。スライド資料によれば、ここでの論点は、
  • 狭義の臨床場面ないし「1対1モデル」を超えた、より広いコミュニティへの視点で園芸療法の重要性をとらえる
  • 園芸療法はそれに準ずるサービスの気軽に接することのできるような、地域社会の空間システム作りの重要性をとらえる
といった点にあった。

 スライド資料によれば、高齢者が単独世帯を形成する比率は年々高まっており、特に女性では、未婚時の20歳代前半と同じくらいの比率のピークが70歳代前半を中心に形成されている。ちなみに、高齢単身世帯の割合と介護の軽度認定率を都道府県別にプロットすると、0.5695という正の相関があるという(厚生労働白書平成17年版による)。単身世帯の比率はそれぞれの地域の家族構成や住宅環境の違いにも影響されるので一概には言えないとは思ったが、単身世帯が多いほど介護の軽度認定率が高まるという傾向がある程度示唆されるようだ。人と人とのつながりやコミュニティのあり方に関する概念として「ソーシャル・キャピタル」という概念がある。これらは、病気・健康を自然やコミュニティとの関わりにおいて包括的に捉えるという点において、園芸療法等と共通する認識枠組みを持つという【スライド資料による】。

 以上の部分について感想・意見を述べさせていただくと、まず、コミュニティとの関わりにおける「園芸療法」は、実際には「療法」というよりも、目的を持った「園芸活動」あるいは「園芸福祉」と同じような意味を持つことになる。もっとも、「高齢者福祉におけるセラピーの2つの役割」で論じたように、そもそも「療法」とか「セラピー」という言葉自体、必ずしも特定疾患の治療効果を狙ったものではなく、すでに複雑系の中に組み込まれ、全人的な対応の中で一定の役割を担うものとして位置づけられているという見方も出ていることを指摘しておきたい。

 次に「コミュニティとの関わり」であるが、12月18日の日記でも述べたように、
そもそも、植物に静かに向き合い、植物と一対一で関わりを持つということはそれ自体に意味があるのであって、必ずしも、集団場面での交流や対人関係の改善を前提とはしていない。私自身などまさにそういう傾向があるのだが、対人的な接触を必要最低限にとどめ、できるだけ静かに花を育てたい、自然とふれあいたいという「人付き合いを好まない人のための園芸療法」だってあっていいのではないかと思う。
というに、「人付き合いを好まない人のための園芸療法」はあってもよいと思っている。というか、各種の療法的活動の中でも、園芸はそのようなタイプの人に最も適しているとも言える。少なくともスポーツ、合唱、演劇、各種ゲームなどは、集団単位でないとなかなかできないところがあるが、園芸活動だけは、無人島で暮らすロビンソンクルーソーであっても実行が可能である。

 しかし、コミュニティの中での園芸活動にももちろん、個人単位で取り組む園芸活動とは違った意義がありうる。だいぶ以前、第10回エコマネー・トークの参加感想の中で

●環境問題をコミュニティで解決することは、「がまん」を「楽しみ」に変える

という、中島恵理氏のご講演内容を引用させていただいたことがあったが、単に、地域からゴミをなくすというだけではポジティブな成果には繋がらない。スポーツや合唱と異なり、園芸を中心とした活動は、自分たちの住むエリアの環境に目に見える変化、しかも持続的な変化(←木を植えれば花が咲くといったように)をもたらすという点で大きなメリットがあると言えるだろう。

次回に続く(次回は来年となる見込み)。