じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 正月のお気に入り風景。↓にも書いたように、正月三が日は、毎日1時間程度、近くの里山などに散歩に出かけて、運動不足を解消した。某家族たちは新春の初売りなどに出かけていたようだが、私は、人混みは大嫌いで、こういう風景のほうがよっぽど新春にふさわしいと思っている。



01月06日(火)

【ちょっと思ったこと】

年末年始あれこれ

 今回の年末年始(12/30〜1/4)は、妻の実家に帰省。元日に近くの神社に初詣、午後に車で20分ほどの温泉施設に行ったほかは、もっぱら家に籠もって、読書、執筆、テレビで自然風景紹介番組や駅伝中継などを視て過ごした。但し、毎日1時間程度、近くの里山などに散歩に出かけて、運動不足を解消した。

 妻の実家ではダイヤルアップ接続しかできなかったので、ネット利用は最小限とし、テキストファイルだけのWeb日記更新と、Eメイルチェックにとどめた。Eメイルのほうは、Yahooの迷惑メイルフィルターでSPAMと判定されたメイルが毎日80通前後届いていたが、件名や発信者は一切確認せずにボタン1つで一括削除した。SPAMフィルターを突破して届く迷惑メイルは毎日10通未満にとどまっていた。

【思ったこと】
_90106(火)[一般]「廿(=20)」使用は定着するか?

 各種報道によれば、麻生首相は年頭会見の冒頭、演壇脇のイーゼルに立て掛けられた色紙に「安心活力」と大書した。官邸関係者によると、年頭の記者会見での“書き初め”は、「極めて異例」だという。

 麻生首相の達筆ぶりは妻の実家でも話題になったところであるが、その後、落款のところで「平成廿一年」とすべきところが「平成廿十一年」と「十」を余計に書いていたことが指摘され、新年早々から、「漢字を知らない麻生さん」を印象づけることになってしまった。なお、自民党のホームページが元日付で掲載した首相の「年賀状」の日付も「平成廿十一年元旦」となっていたというが、1月6日朝の時点では「廿一」に訂正されていた。色紙を書き直したのか、「廿一」の部分だけ貼り替えたのか、まことに興味深い。

 さて、この「廿」であるが、昭和廿七年生まれの私にとっては、まことに懐かしい文字である。このことに関しては、1999年12月19日の日記に次のような記述があった。
 じつは私が幼い頃は、「20」を一文字で表す漢字というのが広く使われていた。それは「廿」(←表示できなかったらごめんなさい。「甘」の中段の横棒を一本抜いた文字です)という文字で、Atok13ではちゃんと「にじゅう」で変換可能。同じくAtok13の文字パレットによればJISコードで「467B」がちゃんとふられている立派な漢字である。この文字は昭和二十年代に手紙の日付によく用いられていた。私自身は昭和20年代はまだ2〜3歳だったので自分で書いたことは無かったけれど、母親が保存していた古い手紙の封筒にこの文字が記されているのをよく見かけたものである。なお昭和30年代に入ってからは、「廿」の真ん中に縦線をもう一本いれて「30」を表すという「漢字」も見かけたような記憶があるが、あまり普及しなかった模様。
 1999年12月19日の日記は、西暦二千年の「二千」を表す漢字1文字を考案してはどうかというのが趣旨であったが、このアイデアは残念ながら私の独り言に終わってしまった。しかし、平成のほうもいよいよ二十年代に突入。麻生首相の「誤記」をきっかけに、「廿」という文字が注目を浴びるのは必至である。




 さて、それでは、かつての昭和20年代と同様、「廿」という文字が広く使われる可能性はあるのだろうか。

 その前に念のため触れておくが、「廿」という文字はすでに昨年、すなわち平成20年から使用可能な文字であった。しかし、私の知る限り、「平成二十年」を「平成廿年」と記した文書は見当たらない。ではなぜ平成21年になると「廿一」が登場してくるのか。これは言うまでもなく、文字数の節約である。漢数字の場合、平成元年から十年までは「元、二、三、...九、十」の1文字で表記可能、それが平成十一年から平成二十年までは、2文字に増えた。そして、二十一年になって初めて3文字が必要になってしまったのである。であるからして、もし「廿」が普及するとすれば、その最初の年は21年である可能性がきわめて高い。

 では、実際はどうなるだろうか。これは、(今回は筆が滑ってしまったが)総理大臣初め地位の高い方々がどれだけ使うか、縦書きの賞状などの準公的文書、新聞記事などでどれだけ使われるかによって影響を受けるので現時点では何とも言えない。しかし、文字数節約は大きな利点でもあり、「21」は「二十一」ではなく、年内に早い時期に「廿一」もしくは「二一」というように表記されることになると思う。

 もっとも、かつての昭和20年代に比べると、公的文書、パソコン画面など、横書き文書が圧倒的多数を占めるようになり、また、漢数字よりも算用数字で表記されることがきわめて多いようにも思われる。それと、手書きで年賀状を書いていた時代に、「二十」を「廿」と書けばいくらか手を動かさなくて済むという利点があったが、今は、ワープロ印刷が主流であり、私のように葉書の賀状を廃止しようとしている者までおり、手書きで「平成二十一年」と書く人は圧倒的に少なくなってきたように思われる。

 となると、「廿」の文字は使われたとしても限定的。また、上にも引用したように、仮に「廿」が普及しても、「三十」以降は「三十」、「四十」、「五十」というように2文字表記に戻るものと予想される(平成の世が五十年まで続くことを心よりお祈りいたしております)。