じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2009年版・岡山大学構内でお花見(10)ミモザ
大学構内のミモザがいよいよ見頃となってきた。3月5日の楽天版に3年分の定点観察記録あり。今年のピークは2007年よりは遅く、2008年よりは早い。 |
【ちょっと思ったこと】
ブルートレインは貧乏学生の乗り物ではなかった 各種報道によれば、東京と九州を結ぶ寝台特急「富士」と「はやぶさ」が、3月14日のダイヤ改正で姿を消す。今回の廃止により、東京駅を発着するブルートレインはすべて姿を消すことになり、残るのは「北斗星」、「あけぼの」、「北陸」、「日本海」、「トワイライトエクスプレス」、「カシオペア」など、上野から東北・北陸方面と、関西からの日本海縦貫線だけとなった(一部、臨時列車扱い、ブルートレインの厳格な定義を満たさない列車あり)。 この話題は各種テレビ番組でも取り上げられており、主要駅には「ラストラン」を一目見ようと大勢のファンが押し寄せ、また、最後の富士はやぶさのチケットは、10秒で売り切れたという。 ブルートレインのことは昨年3月14日の日記でも書いたことがあったが、私自身は、旅行好きの割には、寝台列車というものを殆ど利用したことが無かった。あれはむしろ、「いつかは乗ってみたい」という憧れに近かった(←それも、列車自体への憧れというより、「あの列車に乗れば別の世界に連れて行ってもらえる」といったロマンに近いものだった)。 寝台列車を利用できなかった理由の第一は何と言っても、料金が割高であったことにある。今回のラストランに乗車する人たちへのインタビューもあったが、学生時代によく利用したなどという人はたぶん居なかったと思う。私が学生時代の頃は、もっぱら、ワイド周遊券、ミニ周遊券といった均一周遊券を利用した鉄道旅行が一般的ではなかったかと思うが、ウィキペディアの当該項目にもあるように、「ゆき・かえり、及び自由周遊区間で急行列車の普通車自由席の利用を認めた。特急列車が増加すると、自由周遊区間内に限り、特急列車の普通車自由席の利用を認めた。しかし、急行列車の指定席および特急・急行列車のグリーン車、寝台車の利用時に特急、急行料金(普通車自由席利用時と同額)免除の特典はなかった。」となっていて、寝台特急を利用する場合には高額な別料金を支払わなければならなかった。仮に、夜行列車で一晩を過ごす場合でも、学生の場合は4人がけの椅子に座ったまま寝るのが当たり前。満席の時は、床に新聞紙をひいて、ザックを枕にして寝たものである。そんなこともあり、学生時代に寝台列車に乗ったという記憶は殆どない。門司港から長崎まで運転されていた、寝台つき普通列車「ながさき」に乗ったことがある程度ではなかったかと思う。 就職して収入が増えたあとも、ブルートレインを利用することはあまりなかった。一番の理由は、新幹線+昼間特急自由席のほうが所要時間が遙かに短く、しかも割安であったことによる。また、仮に寝台特急を利用する場合でも、終着駅までずっと乗るより、朝になってから途中駅で新幹線や昼間特急に乗り換えたほうが早く着くという場合が多く、寝台列車を始発駅から終着駅まで乗車したという経験は殆ど無かった。 かつて長崎に住んでいたこともあり、寝台特急「さくら」には何度か乗った記憶があるが、長崎駅の手前の浦上駅で下車したほうが便利であり、上りのほうも確か品川で下りていたと思うので始発駅から終着駅までの乗車体験というのはたぶん無い。ちなみに、この「さくら」は、その後、長崎に到着するまでに2本の昼間特急に追い越されるまでに凋落してしまい、その後廃止されてしまった(2002年3月29日の日記参照)。 今回廃止となる寝台特急富士はかつては日豊本線経由で西鹿児島駅まで運転されていたことがあった。ウィキペディアの当該項目にも記されているように、「東京駅 - 西鹿児島駅間1,574.2kmを実に24時間以上かけて運行することから同じ区間を走る「高千穂」とならび、日本最長運転の定期旅客列車」であったわけだが、鹿児島本線より遠回りとなる日豊本線経由でわざわざ鹿児島に向かう人は少なかったと思う。 これから先もまだまだ乗れるブルートレインはあるが、北海道方面に向かう場合はどうしても航空機を使ってしまう。そのほうが遙かに短時間で済むし、しかも割安である。 日本国内ではあまり乗ったことのない寝台列車であるが、海外では、これまで何度か利用した経験がある。2000年以降の記録では
いずれも、日本のA寝台並みの快適さであった。このことと比較すると、わざわざ、国内で割高の豪華寝台列車に乗りたいという気持ちはおこらないなあ。今後国内寝台列車に乗るとすれば、定年後、日本一周などのイベントが企画された時に限られる。 |