じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 幻想庭園と烏城灯源郷(4)水に映して楽しむ

 岡山・後楽園は園内に「沢の池」や「曲水」があり、幻想庭園の期間中は、水面に映るイルミネーションを楽しむことができる。



8月19日(水)

【ちょっと思ったこと】

国語辞典で「右」はどのように定義されているか

 夕食時にちらっと視た「クイズ雑学王」の番組の中で、

●広辞苑で「右」はどのように説明されている?

というクイズが出題された。正解は「南を向いた時 西にあたる方」ということであった。念のため手元の電子辞書を調べたら確かにその通り。ちなみに、「左」は、「「南を向いた時 東にあたる方」と定義されていた。

 番組サイトでは「誰が見ても客観的に右が理解できるということで、この説明が採用されたのではないかと考えられる。」とされているが、うーむ、どうだろうか。この定義(←「定義」より、「説明」と呼ぶべきか)の問題点として考えられるのは、
  1. 北極点や南極点、あるいは宇宙空間ではこの定義は通用しない。
  2. 「南」や「東」を別に定義する必要がある。ちなみに、広辞苑電子辞書版では「東」は「日の出る方」、「南」は「日の出る方に向かって右の方向」と定義されていたので、これではトートロジーになってしまう。
  3. 「向いた時」というのは、行動を前提とした定義である。行動しなくても「右」という概念は存在するのでは。
  4. 「方(方向)」についても別に定義する必要がある。
 ついでに『新明解』(第六版)を調べたところ、「右」は

●アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示の有る側

と定義されていた。この「定義」ならば、東西南北の知識は必要ないが、代わりにアナログ時計なるものの存在がゼッタイに必要である。アナログ時計が存在しない大昔はもとより、私のようにデジタル時計しか使わない人間にとっては何のことか分からないという問題がある。

 この種の基本的な概念というのは、結局のところトートロジカルにしか定義できない。多くの人の共通体験に依拠して「説明」するほかは無いのかもしれない。

 もっとも「共通体験」といっても、現代日本人だけの共通体験なのか、人類共通なのか、さらには、深海魚や宇宙人でも理解できるような「説明」を目ざすのかで内容は変わってくるだろう。高校の化学で「右旋性」、「左旋性」というような違いを習った記憶がある。これをうまく利用すれば、地球以外に住む知的生命体にも、「右」を説明することができるかもしれないと思ったが、現在は、もう少し拡大して「キラル」として定義されているらしい。電流と磁場の関係でも説明できそうだが、その前に電流の方向とか磁場の方向を先に定義しておく必要がありそう。

 なお、ネットで検索したところウィキペディアの当該項目に詳しい解説があることが分かった。そういえば、ユークリッド幾何学では左右の概念は定義されていなかったなあ。

【思ったこと】
_90819(水)[政治]マニフェスト論議は長期的視点で(4)マニフェストマッチ・テストは意外な結果

 Yahooに、各党のマニフェストの内容と自分の考えがどこまで一致しているのかをチェックするマニフェストマッチというサイトがあり、さっそく試してみた。あまりにも文章が長いのでとても精読・熟考する余裕はなく、もっぱら、文章全体からの印象に基づく判断でボタンを押してみたのだが、「子育て・教育」、「年金制度」、「地方分権」、「政治・行政改革」、「安全保障」、「農業」、「財源・消費税」という7分野のうち2分野ずつに3政党がそれぞれマッチ(2分野×3政党=6分野)、残り1分野に1政党がマッチというようにバラバラな結果になった。私自身に党派性が無いというよりも、各党の内容が似通っていて、決め手に欠けていることが、このような分散をもたらしたものと思う。

 あとで思ったのだが、「地方分権」、「政治・行政改革」、「安全保障」、「農業」、「財源・消費税」の5分野は、国全体の将来を考えて選んでいるのに対して、「子育て・教育」や「年金制度」の分野は、結局、自分がどれだけ恩恵を受けるのかというように利己的な判断が働いてしまう。本来は、この2分野においても「国家百年の大計」を論じることが重要だとは思うが、ついつい、自分の生活のほうを優先してしまう。

 不定期ながら、次回に続く。