じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _90823(日)[一般]昭和35年の意味(4)60年安保(1) 昨日の日記の続き。 番組サイトにもあるように、昭和35年は、すでに取り上げた話題のほか、三井三池争議やローマオリンピックの年としても知られているが、なんと言っても最大の話題は、60年安保をめぐる衝突であったと思う。番組では当時、小学生のあいだでも「デモごっこ」が流行ったという発言があったが、そういえば小学校2年の私も、よく分からないままに、「安保ハンタイ」と「安保サンセイ」に分かれて押しくらまんじゅうのような遊びに加わった記憶がある。なお、日米安保をめぐる衝突としては10年後の「70年安保」があるが、運動の形態は著しく異なっていた。ちなみに、反対派勢力は、60年安保の時は「安保ハンタイ」と叫んでいたが、70年安保の時は「安保フンサイ」であった。「反対」が「粉砕」に置き換えられた背景には何か仕掛け人が居たはずであるが、どこからどういう形で「粉砕」という言葉が広まっていったのかは私にはよく分からない。 さて、60年安保の時の総理大臣は、言うまでもなく岸信介氏であった。ウィキペディアの関連項目を要約すると、岸氏は、首相に就任する前、
岸氏は、日米安保の評価は50年後に定まるというような言葉を残したという。いよいよ2010年、その50年後がやってくる。日本史としての位置づけのみならず、世界史の1項目として、評価をされるべき時がやってきた言えよう。 不定期ながら次回に続く。 |