じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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大原橋から眺める夕焼け(8月23日18時18分頃撮影)。大原橋は歴史的鋼橋調査台帳に挙げられている橋の1つで、1942(昭和17)年3月開通、橋長x幅員は432.4×5.5mと記されている。 ちなみに、ここ数日、秋の気配がただよい、8月25日早朝の最低気温は、20度を下回った。 |
【思ったこと】 _90824(月)[一般]昭和35年の意味(5)60年安保(2) 昨日の日記の続き。 「安保条約」というのは、1951年に結ばれた旧安保条約を形式的に失効させて1960年に新たに成立した条約である。ウィキペディアの当該項目によれば、「旧安保」と「安保」は
ちなみに、私自身は1952年の生まれなので、現在に至る57年間の人生のすべてを、安保体制のもとで生きてきた人間である。そして、もしかすると、この安保体制のもとで一生を終えるかもしれない。まさに、100%の安保体制世代ということになる。 安保体制については、いまなお、維持・強化、消極的存続、廃棄というようにさまざまな議論が続いているが、世論調査では、おおむね、肯定的意見が多数を占めている模様である。また、外務省が5月18日に公表した、米国の「一般の国民」を対象にした対日世論調査によると【出典は、こちらの記事】、
60年安保の当時は、日米安保体制によって日本が戦争に巻き込まれる恐れが大きいと危惧する声があった。しかし、結果的には、その後50年間、日本はおおむね平和な時代の中で経済発展を遂げてきた。世論調査においても、この事実をもって安保体制を肯定的に評価する人は多く、また、選挙の際の重大関心事にもなっていないのではないかと思われる。 もっとも、ここからは一般論になるが、国と国とのあいだの同盟関係というのは、それぞれの国にとってメリットがあるから維持・存続するものである。こちらの解説にもあるように、もともと安保条約は、「アメリカ・日本両政府の思惑が一致してうまれた」条約であり、冷戦構造やその後のポスト冷戦で、それぞれの国にメリットを与え続けてきた。しかし、これから先も、メリットを与え続けるという保証はどこにもない。こう言っては何だが、アメリカという国は、自国の利益のためには手段を選ばないところがある(←ま、自国の利益を最優先で考えるのはアメリカだけでなく、どの国でも同じだろうが)。日本という国の利用価値が無くなれば、アメリカは平気で日本を見捨てるにちがいない。日米安保体制の強化・存続を訴えたとしても、日本の都合だけでうまく運ぶはずがない。 とにかく、恒久平和の達成、あるいは地球環境を守るための課題は、各国の利害の調整ではなく、より高いレベルの理念に基づくものでなければ、いつかは破綻する。しかし、人類が、理念だけで平和で幸福な世界を実現できる種であるかどうかは今の時点では何とも言えない。1000年後に人類が存続していれば初めて評価できるであろうし、その前に滅亡してしまっていれば、やはりダメだったということになる。 それはそれとして、60年安保からまもなく50年。この間には、世界各地でさまざまな戦争が勃発しており、アメリカはその大部分の戦闘に軍隊を送り込んできた。50年間のうちで、アメリカが戦争に関わらなかった年は、いったい何年間あったのだろうか。そんななかで、日本がおおむね平和を保ち続けたということは(「おおむね」というのは、北朝鮮による拉致などの重大問題は抑止できなかったので、100%平和であったとは言い難いという意味)、奇跡でもあり、ある意味では、日本的なやり方でアメリカをうまく利用してきたとも言える。しかしだからと言って、これから先も同じように平和が保てるという保証は全くない。 不定期ながら次回に続く。 |