じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2009年版・岡山大学構内の紅葉(30)ニセ「落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)」

昨日の日記に、「落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)」の写真を掲載したが、それよりもっとたくさんの葉を残している樹が一般教育棟構内にある。但し、こちらの樹が落ちないのは自然の神秘ではなさそう。写真にもあるように、一晩中街灯がついていること、建物の南東側にあって北風があたりにくいことが本当の原因かと思う。


12月28日(月)

【思ったこと】
_91228(月)[心理]東北アジアの幸福観(8)世俗主義の幸福論(4)チャールズ・テイラー

 昨日の続き。

 話題提供の後半では、チャールズ・テイラーの世俗化論の論点が紹介された。テイラーは、「人間は、意味の共同体に投げ込まれ、解釈を通じて自己形成すると同時に、意味の共同体の再編に参画する「自己解釈する動物」」と論じた。このことと世俗化論はいっけん無関係のように思えたが、要するに、近代西欧文化における「日常生活の肯定」、すなわり、「われわれの存在の重力の中心」が「哲学的な観照、戦士あるいは市民としての活動、修道生活」といった非日常から、労働や家政における生産と非生産を中心とした日常生活へと転移したという点にあるということのようだ。このことはさらに現代社会において、「道徳的源泉」の対立と、競合している価値多元主義的状況をもたらすことにつながる。

 ここから少々脱線するが、ウィキペディアの当該項目にも記されているように、テイラーは、自然科学的方法論で人間を理解することは出来ない、ということを主張した博士論文を『行動の説明(Explanation of Behavior)』として出版した。そういえば、少し前のガーゲン先生の講義を拝聴したことがあったが、ガーゲンの著作の中でもテイラーについての言及があったことを思い出した。

 テイラーは、“2000年代の西欧の「中和化された自我(buffered self)」は、あらゆる根拠を世界から切り離された自己の内面のみに求める再帰的なアイデンティティへと変貌する”こと、そして、“「中和化された自己」によって最も先鋭化された「道徳の源泉」は、自らの繁栄のみを目的とする「排他的ヒューマニズム」であること”、このことから、1つの有効な処方箋として有神論を説いているということであった。

 もっとも、話題提供者は決して有神論の喧伝者ではない、むしろ、幸福の多元化、そして、政治はなぜ「幸福」を扱わないのか、と言う方向に話をむすんでいった。

 不定期ながら次回に続く。