じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2010年版・岡山大学構内でお花見(33)マツバウンラン3景 大学構内各所でマツバウンランの花が見られるようになった。今年は、気温の変動がはげしく、ソメイヨシノの花が散らないうちの開花となっている。昨年の写真は、2009年4月17日の楽天版にあり。さきほど、マツバウンラン愛好会に開花報告を出しておいた。 |
【思ったこと】 _a0419(月)[心理]漢字教育と早期教育 Yahooのネット配信の中に、 早期教育効果は小学生で消える という記事があった(出典元のAERAのサイトでは閲覧できないようだ)。麻生奈央子さんというライターによる署名入り記事(4/26号)である。リンク先が削除されてしまうと議論にならないので、少々長くなるが、要点部分を引用させていただく。
昨年の2月19日の日記でも書いたことがあるが、私自身はずっと以前から、熟語の読み学習に関しては、平仮名表記よりも漢字表記のほうが易しいということを主張してきた。同音異義語の多い日本語においては、大人でもすらすらとは読めないような平仮名オンリーの文章から日本語教育を始めることのほうが子どもに負担を強いることであり、早期教育に弊害があるとすれば、平仮名ばかりで日本語を教えることのほうがよっぽど早期教育であり、ストレスの原因になると言いたいくらいである。 もし日本語が「やまとことば」だけでなりたつのであれば、あるいは平仮名表記だけでもうまくやりとりできたかもしれない。しかし、実際の日本語は、漢字熟語なしにはやっていかれない。「いいいいい」とか、ローマ字で「OOOO」などと書いても何のコトやら分からないが、「良い胃良い」とか「王を追う」と漢字で書けばああそうかと思う。平仮名一文字だって「い」は「胃」や「医」、「え」は「絵」や「柄」や「餌」、「き」は「木」や「黄」や「気」であったりするが、発音が同じ言葉の中で何かの共通性があるわけではない。「同じ発音に異なる意味がある」という教え方をするよりも「違う文字・言葉が、たまたま同じ発音になる」と教えたほうが合理的ではないのかなあ。 あと、子育てを議論する時には、平均値で比較するのはやめてもらいたいと思う。子どもは一人一人別々であり、漢字が好きな子はどしどし漢字を教えればいいし、漢字が苦手な子は漢字を使わない別の教え方をすればいい。絵が好きならどしどし絵を描き、ピアノが好きならどしどし練習させればいい。「早期教育が子どものストレスにならず『親子のふれあい』に寄与する程度なら使っても良いでしょう」という部分は同感。「早期教育」なるものの効果・弊害などと一緒くたに扱うのではなく、それぞれの子どもの個性に応じて、伸ばせる部分は伸ばし、なかなか伸びない部分は気にしない(←但し、学習障害などの問題がありそうな場合は、早期に対策を講じたほうが将来にプラスになることもある)という態度で、ゆとりをもって接していけば、間違った方向に道を誤ることは決してないと思う。 |