じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2010年版・岡山大学構内の紅葉(11)旧事務局棟の窓から眺めるケヤキの黄葉 岡大の旧事務局庁舎(旧陸軍第17師団司令部施設の一部)の会議室の窓から眺めるケヤキ。この建物は現在、事務局の施設の一部として利用されており、私自身は年に5〜6回ほど、会議出席のために入館する。今回はちょうどケヤキの黄葉の見頃となっていた。写真下は、9月25日早朝に撮影したお月見写真。 |
【思ったこと】 _a1112(金)日本心理学会第74回大会(47)ことばと社会:心理学的アプローチの可能性と問題点(16)司法コミュニケーションにおける法と言語の接点の模索(3)裁判員裁判をめぐる2つの記事 学会の話題提供から脱線するが、裁判員裁判に関して2つほど気になるニュースがあったので言及させていただく。 1つ目は、昨日も述べた「現実の裁判員裁判の評議の内容は非公開であり研究のデータに使うわけにはいかない。」ということに関連する11月12日発信の、 ●札幌地裁:裁判員が会見で評議内容漏らす という記事である。「裁判員法は、評議での個々の意見や、評決が全員一致か多数決だったかなどを公表した場合、懲役6月以下または50万円以下の罰金を科すとしている。」ということであるが、私自身はそのような弾圧には反対である。裁判員制度を今後も続けるのであれば、最低限、裁判員は評議での自身の意見に責任をもつべきであり、評議が公正に行われたのかどうかについても(利用目的を制限した上で)第三者から検証されるような仕組みがなければならないと思う。そういうことが公表できないというのであればまさに密室審議である。「国民から選ばれた」裁判員などといってもそれは、抽選で選ばれただけであった、国民の大多数の意見を忠実に反映しているわけではない。抽選で当たった裁判員の中に偏見を持った人が多ければ判決はその偏見を反映するだけである。そして評議の内容が公表されないのであれば、国民は判決が偏見や無知によるものであるかどうかさえ議論できない。こんなことでどうして国民に開かれた裁判になるのだろうか。 もう1つは、、 ●東京・西新橋の2女性刺殺:検察、控訴断念を発表 遺族「非常に残念」 という記事である。それによれば、「地検は遺族側に裁判員裁判の控訴審では原則として新証拠を提出できない点などを説明し」、また「判決理由から裁判員らが納得して出した結論であることがうかがわれ、検察内でも控訴審で死刑判決を得ることは難しいとの声が大勢を占めたとみられる。」ということであったが、たまたま選ばれた素人の裁判員が納得したというだけで控訴を断念するなどということで果たして正義が守れるのかどうか、ご遺族が納得できるのかは大いに疑問である。 次回に続く。 |