じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内でお花見(17)満開のソメイヨシノ4景 大学構内のソメイヨシノがほぼ満開となった。写真は、
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【思ったこと】 _b0407(木)渋谷をブラタモリ/渋谷の思い出 録画してあったブラタモリ第2シリーズ最終回: ●渋谷をブラタモリ を視た(放送は3月31日)。 世田谷区若林で生まれ育った私にとって、渋谷は最も馴染み深い街であり、子どもの頃から高校卒業に至るまで数々の思い出がある。 番組で取り上げられていた中でも、地下鉄銀座線、東急文化会館跡地のビル、東急東横線渋谷駅周辺、宮益坂・道玄坂近辺などは、特に思い出深い風景であった。 このうち、東京地下鉄銀座線は、私が生まれる前から走っていた唯一の地下鉄であり、子どもの頃、地下鉄と言えば、銀座線のみであり、「銀座線」というような固有名詞で呼ばなくても「地下鉄」だけで十分に意味が通じていた。なお、生まれて間もない頃にはもう1本、丸ノ内線があったが、全線開通は1959年であって、私自身が利用したのは渋谷から赤坂見附乗り換えでお茶の水方面に向かう時だけであった。 今回の番組でもタモリさんが言っておられたが、銀座線の渋谷駅は、JR、東横線、井の頭線の駅よりもさらに高所の3階にあって、なかなか興味深い。銀座線が渋谷駅を出発して地下に潜る時にこそ、渋谷が谷底にできた街であることが最も実感できると言ってよいだろう。 私が子どもの頃は、他に玉川線の渋谷駅もあった。渋谷駅から道玄坂に向かう軌道は廃線後しばらくは放置され、その後舗装されて東急バスの専用道路になっていたりしたが、いまはどうなっているだろうか。 渋谷駅と一体化している東急デパート東横店は、私が生まれた頃は東館のみであり、西館が竣工した頃の記憶がかすかに残っている。当時のデパート周辺の路上は、靴磨き、傷痍軍人、物乞い、バナナ叩き売り、見世物などでごった返していた。東横デパートの屋上は、私が生まれて初めて上がった高層ビルの屋上であり、眼下の車はマッチ箱、通行人は蟻のように小さく見えた記憶が鮮明に残っている。その後、知覚の恒常性が発達したせいか、どんなに高いビルから下を見ても、車や人がマッチ箱や蟻のように見えることは無くなってしまった。(単に、「離れているから小さく見えているだけ」としか知覚されなくなった。) 番組の終わりのほうでは、竣工間近の渋谷ヒカリエ高層階の風景も放送されていた。あそこは、かつて東急文化会館が建っていた場所であり、五島プラネタリウム、東急名画座、三省堂書店など馴染みの深い施設がいろいろとあった。2008年3月19日の日記他に、関連記事あり。五島プラネタリウムの一般投影は、館内が薄暗い状態で、周囲のシルエットの解説から始まった。西の方向には富士山、他に池上本門寺、芝の芝増上寺、東京湾などのシルエットがあったと記憶している。西隣の東横デパートは大きすぎるので遠慮してもらって小さく貼ってあるというような解説もあり、場内からは笑い声が聞こえた。東急文化会館が閉店した2003年頃には周囲に高層ビルに囲まれていたが、楽しめなくなっていたが、まもなく竣工の渋谷ヒカリエは地上34階・182.5mの高さになるというから、プラネタリウムのシルエットと同じような眺望が再び楽しめるようになるかもしれない。 五島プラネタリウムの丸い屋根は、東急文化会館の屋上から突き出していて、その脇には黒点観測の施設もあった。プラネタリウムが閉館する前、ここの屋上の風景をデジカメに撮ろうとしていたら、同じ屋上にあったゲームセンターの管理人と思われる男性が、東急文化会館の店内はすべて撮影禁止になっているから撮ってはダメだとかけつけてきた。思い出を残すために屋上の風景を撮るだけならいいでしょうと言ったが、屋上も店内の敷地だからゼッタイだめだと言って聞き入れなかった。職務を忠実に遂行しているという点ではご立派な方だとは思ったが、融通のきかないその男性のせいで、思い出になるはずの最後の1枚が撮れなかったことがまことに心残りであった。東急文化会館閉店によりゲームセンターも当然消滅したが、あの男性はいまどうしていることだろうか。 番組の話に戻るが、この番組のメインテーマは渋谷川であった。品川→渋谷のバスに乗って、渋谷駅の1つ手前の停留所で降りると、すぐ近くに暗渠から顔を出した渋谷川が見られる。あのあたりは、比較的割安な食べ物屋が多くて、何度か利用したことがある。今回取り上げられた「渋谷川源流」とされる、新宿御苑の玉藻池や、さらにその上流にある天龍寺の水琴窟はぜひ一度訪れたいと思う。 |