じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
§§ |
2011年版・岡山大学構内でお花見(23)菜の花 大学構内の菜の花は、園芸花壇に植えられた観賞用のもの(旧事務局棟前、旧日本軍第17師団司令部・歩兵第33旅団司令部)と、葉物野菜のこぼれ種から勝手に生えているもの(農学部農場内)がある。なお、旧事務局棟前の広場は昼間は車が多いため、早朝でないと、駐車ゼロの状態で撮影することはできない。 |
【思ったこと】 _b0413(水)今回の大地震について思ったこと(17)本当に必要なのはお金ではなく、モノと「人を動かす力」 例によってNHKオンラインの見出し項目を掲げておく(4月14日早朝の時点)。
さて、今回の大震災の被害総額は15〜25兆円などと試算されており、復旧・復興に向けた2011年度1次補正予算は4兆円規模、それに続く2次。3次、...といった補正も検討されているという。そのいっぽう、財源として、増税、子ども手当てや高速道路無料化など政策の見直し、復興国債発行などが検討されているというが、どれも一長一短があり、決定的と言えるような名案は無いようである。 こうした議論の中で注意しなければならないと思うのは、お金というのは本質的な価値ではなく、「これだけあれば何でもできる」というような万能な力を備えたものではないという点である。 2月12日の日記にも書いたことを再掲すると、 私自身、この種の問題に10年以上関心を持ってきたが、けっきょく、お金の本質とは、ということになるのではないかと思う。 被災地の復興のためには、瓦礫の撤去、区画整理、住宅や公共施設の再建、医療やインフラ整備、産業支援などが不可欠と思われるが、これらを進めるには被災地以外の人たちにも働いてもらわなければならない。一部は無報酬のボランティアに頼れるとしても、これだけ規模の大きい震災となればやはり、働いてもらうための手段(=人を動かす力)としてのお金が必要ということになる。ちなみに、この場合の「人を動かす」というのは、善意や共感で動くという意味ではない。あくまで労働としての行動である。 2番目の「モノの専有」というのも「専有」というと聞こえは悪いが、要するに、建設資材や食料、飲料水などを、被災地の人たちに優先的に分配するということであり、そのためにお金が必要であるということにすぎない。もし、それらのモノが、他地域からの無償の提供でまかなわれるのであれば、そのための予算はゼロでもかまわないはずだ。しかし現実には、被災地以外の人々にとってもモノは必要であり(だからこそ、どこに住む人でも働こうとする)、優先的に分配するための資金が必要となる。 ここで特に強調しておきたいのは、「他者に働いてもらう」力(=人的資源)と、必要最低限のモノ(=物的資源)を確保する見込みが無ければ、どのような規模に予算を増やしても、現実には何の施策も講じられなくなる恐れがあるという点だ。その場合には、投資マネーの餌食となるか、超インフレになるか、(日本ではまずあり得ないが)モノの略奪になるか、独裁者のもとで国民の多くが奴隷のように強制労働させられるか、...といった事態になってしまう。 繰り返し言うが、お金などというのは額面でいくらあっても、それだけでは何の力も持たないものだ。お金と引き替えにサービスを提供してくれる他者が存在し、お金と引き替えに提供してもらえる資源があってこそ、初めて価値が出てくるのである。 |