じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _b0520(金)2011年版・高齢者の心と行動(2) 他者の心を理解する仕組み 5月13日の続き。 前回の日記で、特に強調したいのは以下の5点であると述べた。
このうちの1.の「他者の心を理解する仕組み」であるが、行動分析学的には、これは、弁別行動(刺激性制御)のスキルを磨くということに尽きる。 弁別の適応的意義については4月9日やその翌日の日記などで述べたところであるが、他者を理解するという場合は、まず、他者がどのような刺激を弁別し、それを手がかりとしてオペラント行動を自発しているのかを把握する必要がある。その際に重要なことは、観察者は、他者にとって何が弁別刺激になっているのかをそう簡単には同定できないという点である。刺激自体がいかに客観的で測定可能なものであっても、複数の刺激がどのようにカテゴライズされて手がかりとして利用されているのかは、行為者ごとによってマチマチである。また、その行動が何によって強化・弱化されているのかもマチマチであって、系統的な観察がどうしても必要になる。要するに、単に経験を積んだり、共感・感動をしているというだけでは、他者は理解できない。これは、医師が患者を診る場合でも、リーダーが部下の諸行動をとりまとめる場合でも、夫婦間の相互理解でもすべて同様である。 大災害や戦争の時に国民の心が1つになると言われるのは、国民の間の相互理解力が突然増したためではない。そういう緊急時になると、弁別刺激や強化子(好子や嫌子)の多様性が失われ、皆が同じ弁別刺激を手がかりとして行動し、かつ、きわめて類似した結果によって強化・弱化されやすくなるためにすぎない。平時に国民の心がバラバラになると言われるのも、その裏を反映しているに過ぎない。 「高齢者の心」の理解が困難であるとすれば、その原因は、高齢者が利用可能な弁別刺激(手がかり)と、健常な若者が当たり前のように利用している手がかりの間にギャップがあるためである。なかなか喜んでもらえなかったり、こちらからの心づくしが怒りをかったりすることがあったとしたら、それらは、強化子の違いとして分析されなければならない。 次回に続く。 |