じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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初詣で訪れた近くの神社。この神社の手水舎は、龍の口から水が流れ出るようになっていて、辰年の雰囲気にマッチしていた。なお、この神社には立派な牛もおられるが、丑年ではないため、今年の正月はあまり注目されておらず、牛のしっぽに数本のおみくじが巻き付けられているだけであった。 |
【思ったこと】 _c0105(木)「初めて」の陶淵明(2) 昨日の日記で、陶淵明は、官界は自分に向いていないから農業という消極的な考えではなく、農耕生活こそが日々の充実をもたらすのだと自覚して農夫に戻ったことについて述べた。もっとも、官界が自分に向いていないからという消去法的選択なのか、農村が自分に向いているという積極的選択なのかについては、いろいろ解釈できるように思う。 淵明が41歳の時に郷里に帰り、その翌年に作った『歸園田居五首(其一)』の中には、 久在樊籠裡 久しく樊籠の裏に在りしもという部分がある。この最後の「自然に返る」というのは、自然豊かな生活に戻るというように思ってしまいがちであるが、演者によれば、正しくは「自ずから然り」、英語で言えば「what-is -so-of-itself」あるいは「unconditioned」の意味であるそうだ。また『歸去來兮辭』の序でも、 及少日,眷然有歸歟之情。何則,質性自然,非矯勵所得;饑凍雖切,違己交病。というように「自然」が出てくるが、ここの正しい解釈は、 着任して間もないのに、もう官を辞して家に帰りたい気持ちが起こった。なぜなら私の本性は自然率直で、本性を曲げてまで努力することができないからだ。であり、「無理をしてがんばる」という意味の「矯勵」の反対語が「自然」、つまり、自分のありのまま、思いのままにしか行動できないこと、そしてそれは田園なら実現できるということを言っているのだという。 というようなお話を聞いていると、やはり淵明は、官界が自分に向いていないからという消去法的判断があった上で、自身の本性に適した田園生活を選んだのではないかという疑問も出てくるのだが、なにせ、高校時代、古文や漢文は5段階評価で常に3以下であった私のことである(←おまけに、大学入試では、漢文は受験勉強範囲からバッサリ捨てていた)。これ以上の詮索はやめておくことにしたい。 いずれにせよ、淵明が田園に戻ってからは、農民として生きる充実と喜びをたくさんの詩に表した。この講演のテーマは「初めて陶淵明」であったが、ここで最初の「初めて」が出てきた。すなわち、陶淵明は、自分の生産する作物の成長ぶりを、中国では初めて、勤労者の立場から表現したという。 桑麻日已長なお演者によれば、西欧では紀元前70年に生まれたギリシアの詩人ウェルギリウスが農耕の充実と喜びを様々な角度から詠った『農耕詩」を著しているという。 次回に続く。 |