じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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オススメのパソコン関連グッズ(3)セルフパワーつきUSBハブ

 連載3回目は、

セルフパワーつきUSBハブ

付属のACアダプターから電源を供給することができるので、外付けのモバイル型HDDをつけてもトラブルが起こらず大変重宝している。

 私がいま研究室で使っている主力機は、パソコン本体の裏側に4ポート、表側に2ポート、合計6ポートついている。しかし、常時接続する機器は、 というように少なくとも8個にのぼっており、これまでは、必要に応じて、USBケーブルをつなぎ替えていた。しかし、そのたびに着脱操作が必要であり、また、モバイル型HDDは時たま電力供給不足のために赤ランプが付くことがあり支障をきたしていた。セルフパワーつきにつなぎ替えてからはその種のトラブルは全く起きていない。

 なお、USBハブに接続してもうまく作動しなかったのは、これまでのところは、外付けのFDD(フロッピーディスクドライブ)のみであった。

1月18日(水)

【思ったこと】
_c0118(水)上野千鶴子特別招聘教授着任記念学術講演・シンポジウム(10)よいケアとは何か?

 昨日の日記の続き。

 講演では次に、よいケアとは何か?について語られた。御著書『ケアの社会学』をコメントさせていただける段階には無いのだが、この部分は重要な論点となるので、186〜187頁のあたりからいくつか要約引用させていただくことにしたい。
  1. 当事者主権の立場から言えば、「よいケア」の究極のあり方は「個別ケア」である。
  2. 「よいケア」は標準化されることも、第三者によって客観的に判定されることもできない。
  3. 「ケアの質」を判定するのはケアの受け手当事者であり、第三者ではない。
  4. ケアの与え手と受け手の両者が相互行為する関係のもとで「よいケア」が達成されるとすれば、「ケアの質」は、ケアの受け手と与え手の双方によって判定される必要がある。
  5. ケアは相互行為そのものであり、したがってアクターや文脈が変われば、そのつど変化する個別性、一回性を持っている。
  6. ケアの受け手をたんなる受動的な消費者や利用者としてとらえない。そして、利用者満足のために、ケアの与え手の犠牲や抑圧を許容しない。
  7. ケアの与え手の満足がなければ、ケアの受け手の満足が成り立たない、またはその逆でもある。(ゼロサムモデルではなくて、win & winモデル。)
  8. ケア関係の原因であり結果であるケアの受け手の「ニーズ」とその「満足」が、ケアの究極の目的となる。
  9. 与え手と受け手の関係は非対称であり、ニーズが先行するからこそサービスが発生する。「当事者主権」の立場からの「一次的ニーズ」の所在を間違えてはならない。
  10. 高齢者は、それぞれが固有の生活歴を持っており、ケアがその人らしい生活を支援することを目的とするなら、「個別ケア」がのぞましいことを否定する人はいないだろう。

 講演ではこのほか、
  • 「ケア」は、人と人とのコミュニケーション行為であり、いずれの側にとっても、Positiveでもnegativeでもありうる非対称な相互行為である。
  • 相互に学び合うことによってしか、良いケアは成り立たない。
というようなことが語られた。

 上掲の箇条書きのうち、ケアの質の判定に関して、3.では受け手当事者を重視し、4.では受け手と与え手の双方が重視されており矛盾しているような気もするが、3.の論点はおそらく、8.や9.の「一次的ニーズ」と関連しているのではないかと思われる。つまり、判定は双方によって行われる必要があるが、一次的ニーズの所在を踏まえれば、受け手側の「ニーズ」とその「満足」が究極の目的になるというわけだ。

 いずれにせよ、これらの考え方の基本には、受け手側の「個」の尊重があり、この点については私が関与してきたダイバージョナルセラピーの活動とも共通点があるように思われた。但し、1月14日にも書いたことであるが、ケアは相互行為そのものであるという主張は、究極的には、一人の受け手に対して一人の与え手があって初めて成立するようにも思える。これは、夫婦とか親子といった関係の中では部分的に可能であろうが、そうではない他人から介護を受けるということになると、結局は、一部の富裕層だけに限られた特権になるか、さもなくば、女性を含めて徴兵制をしき、すべての若者が半年とか1年間、介護活動に従事することを義務づけるようにしなければ不可能であるように思える。(このほか、海外から介護スタッフを招くという方法もあるが、これは結局は、国のあいだの格差を利用しているだけで、人類全体のケアに配慮していることにはならない。それによって、日本の高齢者は介護を受けられても、発展途上国の高齢者は置き去りにされてしまうだろう。)

 ま、このあたりの疑問は、講演の次の話題である「誰がケアを担うのか?」という内容に関わってくる。

次回に続く。