じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 日本環境心理学会第5回大会参加のため、東京大学・柏キャンパスを初めて訪れた。柏の葉キャンパス駅に到着したのが9時02分、開始時刻は10時ということで時間があったので歩いてみたが、駅前から左に曲がって駐車場方向に進んでしまったこともあり、「徒歩25分」と記されていたところ50分近くかかってしまった。このあたりはとにかく、敷地も建物もスケールが大きい。なお、大会参加のメモ・感想は、現在の別の連載が終わりしだい執筆する予定。

3月3日(土)

【思ったこと】
_c0303(土)「質的研究の来し方と未来:ナラティヴを巡って」&「人生心理学:イメージ画と語り」(11)ナラティヴと事実との関係

 3月1日の続き。

 4名の方の話題提供に続いて、フロアの参加者を交えたディスカッションが行われた。メモに基づいて論点を箇条書きにすると、以下のようになる。
  1. ナラティヴはフィクションベース。科学として成り立つか?
  2. ナラティヴは現実と非現実との線引きをいったんご破算にする。どう役立つかなどを考える装置。
  3. 病院で死ぬということ』という本にもあるように、思い出を誰かに語れるかどうかは重要。
  4. フィクションかどうかはそれほど問題ではない。
  5. ナラティヴは言語に依存しているが事実であり、エビデンス。
  6. そのことがあったかどうかではなく、本人にとって意味のあるものは何かが重要。
  7. 歴史においても、本当にあったかどうかというhistorical factの確認は大切であるが、そのような事実は無限にあり、そこから意味のあるものをどう構成していくのかが重要。
  8. 歴史的認識の違いは、事実かどうかの確信の度合いによるのか、それとも、事実をどう構成するのかが問題なのか。

 なお、ナラティヴと事実との関係については、やまだようこ氏の最終講義の冒頭でも、あるかないか(事実か事実でないか)、科学的か科学的でないか、という議論ではなく、問題の立て方を変えて、ナラティヴ的真実を問うことが大切であるというような言及があった。やまだ氏はさらに、天動説と地動説の例を挙げ、科学として見れば地球は自転をしているが、地面を中心にモノを見る私たちは、通常、「太陽が東から昇る」という言い方をする、決して「地球が自転している」とは言わないというようなお話をされた。

 以上の議論についての私自身の考えは以下の通りである。まず、物理学や天文学が対象としているように、人間の存在とは独立した世界は確かに存在している。しかもそれらは、ある程度安定し、かつ一定の条件で一定の変化をする。人間はそれを、言語や数式で記述し、予測や制御に役立てることができる。これが、科学の基本である。人間を対象とする場合も、3人称的視点でその人の行動を観察すれば、どういう条件のもとでどういう行動をするか、どのように条件を変えれば行動はどう変化するのかは、その枠内で科学的に記述できるし、予測や制御にも役立てるという点で同様である。行動の変化は強化理論で十分に説明できると私は考えているが、そのさいに手がかりとなる弁別刺激、あるいは行動の直後の環境変化が物理学的法則に基づく自然随伴性であるのか、第三者によって仕組まれた付加的な随伴性であるのかということは問題ではない。「太陽が東から昇る」というのも、別段地動説に反しているわけではなくて、
  • 地球は自転しており、そのことにより、地球上のある場所で観察すれば、太陽は約24時間の周期で、一定の方位から上り、一定の方位に沈むように見える。これらはすべて事実である。
  • その場所で生活する人間は、その場所で観察される事実を「太陽は東から昇る」と言語的に記述し、種々の生活行動の弁別刺激として利用する。また、利用することで、そのような言語表現行動は強化される。
というだけであって、別段驚くにはあたらない。「人々は毎日、太陽が東から昇るのを見て、山に狩りに出かけ、西に沈む直前に狩りを終える」というように観察・記述することは科学的であって、フィクションとは区別できる。

 また、宗教を信じている人にとっては、「神」はきわめて強力な弁別刺激であり、確立操作の根源であり、かつ、宗教的行為への強化者となる。といっても、私のような無神論者から見れば、「神」は実際には存在しておらず、その宗教団体や宗派の中で、信者たちが信仰を相互に強化したり、無限に近い事実の中で「神の奇跡」や「御利益」に合致する事例だけをピックアップして付加的に強化することで、宗教行為を維持しているにすぎない。行動分析学的に見れば、神の存在がfactであるかどうかは全く問題ではない、「神」として語られる言語刺激が当人の行動の弁別刺激や確立操作や強化刺激としてどのように機能しているのかが問題なのであって、それを分析するプロセスはきわめて科学的であると言うことができるだろう。じっさい、スキナーの研究にもあるように「迷信行動」は人間ばかりでなくハトでも見られる。迷信行動の中味は決して科学的な行動とは言えないが、迷信行動がどういうプロセスで形成、強化、持続するのかを分析することはきわめて科学的である。

 次回に続く。