じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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岡山では2月の平均気温が4.1℃であり、平年値の5.5℃を大きく下回ったが、3月に入ってからは3月1日から7日まで7日間のうち6日で最高気温が10℃を上回るなど、比較的暖かい日が続いている。開花が遅れていた農学部農場の梅もほぼ咲きそろった。
3月7日には前期個別試験の合格者発表が一斉に行われたが、時期的にはサクラサクというよりはウメノハナサクといった感じ。 |
【思ったこと】 _c0307(水)「質的研究の来し方と未来:ナラティヴを巡って」&「人生心理学:イメージ画と語り」(15)やまだようこ氏の最終講義(4)「イメージ地図」と「Image Map of Life」 昨日の日記に記したように、最終講義の後半では、「人生のイメージ地図」、「私と母の関係イメージ」、「この世とあの世の関係イメージ」という3種類の多文化研究の一部が紹介された。パワーポイント資料によれば、これらの研究では、いろいろな国の人たち(主に学生)に、以下のような教示によって行われたという。
ここまでのところであるが、イメージ描画法(IDM、Image Drawing Method)は、言語に頼らないことで、文化の制約を超えてコミュニケーションしやすいというメリットがあることは確かであるが、絵を描いてもらう時の教示はどうしても言語に頼ってしまうので、多文化研究を行うにあたっては、言語的教示のちょっとした表現の違いが描画内容に影響を与えないように十分な配慮が必要であるように思う。 まず、上記1.の「人生のイメージ地図」であるが、英語では「Image Map of Life」と訳されていた。しかし日本語の「地図」と英語の「Map」ではかなり意味が異なっている。『新明解』によれば、「地図」は ●その地域の山・川・海などの状態や都市の分布などを、縮尺して平面に表した図。 と定義されている。またウィキペディアでは、 地図(ちず)とは、地球などの地表、あるいは架空の世界の全部または特定の一部分を縮小表現したものである。「文字よりも古いコミュニケーション手段」と称されることがあるように、表現手法として人類に重宝されてきた。となっていて、いずれも、現在またはある時代における空間を平面に縮尺表現したものと定義されている。「人生のイメージ地図」と教示された場合、「人生のイメージ」、「人生のイメージ図」、「人生のカタチ」などと教示された場合に比べて、どうしても、時間軸を考慮に入れない空間表現に注意が向いてしまうのではないかと想定される。 いっぽう「Map」であるが、ウィキペディア(英語版)では、 A map is a visual representation of an area-a symbolic depiction highlighting relationships between elements of that space such as objects, regions, and themes.となっていて、この限りでは、日本の「地図」と英語の「map」はほぼ同義と言える。しかし、英語の「a weather map」(chartとも言うが)は日本語では天気図であって天気地図とは言わないし、「a railway map」は鉄道路線図であって鉄道路線地図とは言わない。英語のmapよりも日本語の地図のほうが限定的に使われているように思える。 さらに、英語の「map」は動詞としても使われており、ランダムハウス英語辞典には、
また、大都会に住む人と、大草原の遊牧民では「地図」の概念もかなり異なるように思われる。大都会の地図と言えば、道路と建物が中心で、通り名を建物を手がかりに目的地に進むが、大草原では遠くの山や方角が中心となる。このあたりも、多文化研究に影響を与えるのではないかと思われる。 余談だが、先日、NHKの「地球イチバン」という番組で、地球でイチバンのシンプルライフというのをやっていた(2月23日放送)。紹介されたタンザニア・ハッザ族の人びとには年齢や細かい時間の概念が無いという。こういうところではそもそも、「あなたの人生(過去・現在・未来)をイメージして地図に描いてください。」という教示は意味をなさない恐れがあるだろう。 あと、上掲の「この世とあの世の関係イメージ」などは、無神論の者には教示の前提があまりにも荒唐無稽すぎて、対応のしようがないと思う。私などもその部類で、童話の世界ならまだしも、自分自身の人生と関連づけて「あの世」を描いたことなどはタダの一度も無い。もし、描けと言われたら、画用紙一面を真っ黒に塗りつぶすことしかできない。 次回に続く。 |