じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
§§ |
8月13日早朝の月(月齢24.7)。雲が多いものの、ほんの一瞬、晴れ間から眺めることができた。さていよいよ、24時間後の14日未明には金星食が見られるはずであるが、岡山県岡山では雨の予報となっており、殆ど絶望的。とはいえ、岡山では、雨の予報が出ていても、瞬間的に晴れ間が現れることもある。『晴れの国岡山」の奇跡に期待。 |
【思ったこと】 _c0812(日)TEDで学ぶ心理学(7)Sheena Iyengar: The art of choosing.選択の科学(6)一口に選択と言っても... アイエンガー先生の ●Sheena Iyengar: The art of choosing.(2010年7月) の連載6回目。 8月7日の日記に記したように、このプレゼンでは、アメリカ人にありがちな以下の3点が指摘された。
アイエンガー先生のプレゼンでは、これら3つはいずれも「選択」の形態の1つとして扱われていたが、本当はかなり異なった行動現象を(もしかするとかなり強引に)一括りにしてしまっている可能性がある。 まず、1.の「自分で選択する」というのは、特定の行動を始める際の能動性・主体性のことを言っている。ここでは、第三者からの命令や指示がどの程度影響を及ぼしているのかがカギとなっている。行動分析学的に言えば、「行動すれば好子が出現する」という好子出現の随伴性によるのか、それとも、「行動しないと何らかの罰的結果が生じる」という好子消失阻止や嫌子出現阻止の随伴性で行動しているのかという違いである。後者の場合は、何かをさせられているという義務的な随伴性となるので、第三者によって結果が付加されない状況では行動(例えば休憩時間における遊び)は起こりにくくなる。 次に2.は、弁別や葛藤に関わる事態と言える。これについては、次回以降で詳しく述べる。 最後の3.は、自己決定・自己責任に関するジレンマである。自身で選択(=決定)したことは、その行動の続行であれ中止であれ、重大な結果をもたらす。いっぽう1.や2.は、どれを選んだからといって、責任が問われるわけではない。このことをふまえた上で、アイエンガー先生が指摘した3点を検討していく必要がある。 次回に続く。 |