昭和30年代の写真日記
1955年の記録
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1955年12月。3歳2カ月。世田谷・若林の生家のすぐ近くにあった豪徳寺の鐘楼。私の家で聞こえる除夜の鐘と言えば、この豪徳寺の鐘であった。こちらやこちらに、最近の写真やスケッチが掲載されていた。ひむか教育用画像素材集では“日本の寺院《鐘楼》”として採用されているがそんなに有名だったとは知らなかった。当時は、鐘楼の周りはこのように整備されておらず、近所の子どもたちのごく普通の遊び場になっていたように記憶している[2003.5.25.]。
1955年9月。2歳11カ月。二子玉川園内の恐竜と観覧車。当時は、渋谷・下高井戸間と、渋谷・二子玉川園の2路線があり、世田谷・若林の生家からは三軒茶屋乗り換えで手軽に遊びに行くことができた。
二子玉川園で最も記憶に残っているのが巨大な恐竜模型であった。幼心にはとても怖く、いつも目をそらせていた。観覧車はガラス窓などない、風通しのよいゴンドラになっており、今よりずっとスリルがあったはずだ。
[2003.5.18.]。
1955年8月。2歳10カ月。三輪車に乗る。1954年10月撮影の写真と比べると、自由に乗り回せるようになってきたようだ。私自身が懐かしく感じるのは、後ろに移っている縁側。縁側の下にはアリジゴクの巣があり、アリを放り込んだり、穴の主を掘り出したりして遊んだ記憶がある。[2003.5.11.]。
1955年2月。2歳4カ月。東京で大雪が降った。私の人生では、たぶんこれが初めての大雪[2003.4.26.]。
[※2014年2月9日追記]
気象庁天気相談所作成の東京の年最深積雪の記録と年間降雪日数によると1955年には積雪の記録がなく、1954年1月25日に30cm、また1956年1月24日に11cmの積雪があったと記されています。私の成長の様子からみて1954年(まだ1歳4ヶ月)という可能性は低いので、この写真は大雪の日またはその翌日の1956年1月24〜25日に撮影されたものと推定されます。
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