じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2月11日、北九州から岡山に戻る際、中国道の吉和サービスエリアで昼食をとった。ここのスナックコーナーのテレビは、12時台からNHK総合にチャンネルを固定していた。「純と愛」(↓の記事参照)の再放送が12時45分から始まった時に、居合わせた人たちがどういう反応を示すのか観察してみたが、大多数の人たちは食事や会話に夢中で、テレビ画面に目を向ける人は殆どいなかった。




2013年02月12日(火)

【思ったこと】
130212(火)NHK朝ドラ「純と愛」で出現した「純愛熱中症」と「アンチ純愛症候群」(9)同じドラマを視ているにもかかわらず、それを楽しむ人とイヤでたまらない人がいるのは?

 2月4日以降、この話題の連載を続けているが、少々脱線してしまったので、このあたりで「純愛熱中症」と「アンチ純愛症候群」という本題に戻ることにしたい。

 この話題についてはいろいろな角度からの議論ができると思うが、その中でも最も興味をひかれるのは、

●同じドラマを視ているにもかかわらず、なぜ、それを楽しむ人と、イヤでたまらない人がいるのか?

という疑問ではないかと思う。某心理学の援用みたいになるが、「エピソード」と「ストーリー」によって、この疑問はある程度説明できる。

 あるドラマを好きになるか嫌いになるかというのは、個々のシーンやエピソードへの好悪の単純平均によって決まるのではない。それぞれの人がどういうストーリーを作るかによって、面白くもつまらなくもなる。そして時には憎悪を生み出すことさえある。

 例えば、赤穂義士(あるいは忠臣蔵)のドラマは多くの人の感動を呼ぶ。しかし、吉良上野介はじつは良い人(←じっさい、黄金堤による治水事業や富好新田をはじめとする新田開拓を行った名君であるという評価もある)であって松の廊下の事件は浅野内匠頭の思い込みによるものだと仮定すれば、吉良はなんて可哀想なんだろう思いながらドラマを視ることもできる。また、いきなり討ち入りシーンだけを視れば、これは単なる乱闘騒ぎだ、人を殺すのはよくないという印象を持たれるかもしれない。

 冬ソナのドラマも同様である。2009年5月28日の日記に書いたように、
「冬ソナ」は、純愛ドラマの代表作品であるかのように言われることがあるが、登場人物の中で一途の愛を貫いたのはむしろ、サンヒョクやチェリンであって、ユジン自身は、チュンサンを好きになったり、サンヒョクと婚約しようとしたり、その婚約披露パーティをすっぽかしたり、チュンサンではないミニョンを好きになってみたりというように、けっこう自分勝手で移り気なところがあった。それが一番鮮明に出ていたのが第10話の前後であったと思う。

 「冬ソナ」はハッピーエンドのドラマだとされているが、ある意味では、サンヒョクという男の失恋物語であり悲劇であったとも言える。
という見方もできる。このほか、韓国内で放映された時から、ユジンの優柔不断さについて賛否両論があったとも聞いている。

 今回の「純と愛」についても、脚本家の描いたストーリーを素直に受け入れて観賞する場合と、「朝の静かなひとときを妨害してくれてエライ迷惑」という前提で観賞する場合では、個々のエピソードの繋げ方は全く変わってくる。しょせんドラマは人が作ったものであるからして、悪く見ようとすれば、いくらでも欠陥は見つかるし、また、悪い部分だけを拾うような形でストーリーを構成することだってできる。

 同じことは、私たちの人生の過去の出来事についても言える。人生はそんなに良いことばかりではない。誰でも、受験に失敗したり、将来の進路で挫折したり、失恋したり、パートナーと死別したり、両親が他界したり、...というように悲しい出来事を少なからず経験する。しかし、それらの個々の出来事自体が人生の評価をネガティブにするわけでは決してない。ポジティブな評価にするか、ネガティブな評価をするかということは、けっきょく、それらの出来事についてどういうストーリーを構成するのかによって決まる。

 元の話題に戻るが、どうせドラマを視るのであれば、ネガティブであるよりはポジティブなストーリーを構成したほうがいい。NHKのドラマだとか、朝の時間帯に放送するのはどうかといった別の議論はあるが(2月6日の日記やその翌日以降の日記参照)、一般論としては、特定ドラマの悪口を投稿して毎日を過ごすよりは、その人が本当に楽しめるドラマをみつけて、そのドラマについて肯定的な感想を綴っていくことのほうが精神衛生上よろしいし、たぶん、ストレスが少ないことで長生きできるのではないかと思うのだが、ま、それも個人の自由なので、私がどうこう言うものではない。また、次回以降に述べるが、ネット上で他人を批判攻撃する行為には別の行動強化システムが働いている点にも留意する必要がある。

 次回に続く。