じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で、揚げ足取りみたいなクチコミは質の高い批評とは言えないというようなことを書いたが、実は私自身は、重箱の端をつつくようなツッコミが好きだったりする。但し、それはあくまでドラマを楽しむ一環であって、悪口が目的ではない。

 写真は、第123話〜124話(2/26〜2/27)の回で、純が愛(いとし)との離婚届けにサインした時の筆跡。純がサインした直後(写真上)と、愛(いとし)があとでそれを視ている時では、以下のような違いが見て取れる。
  • ぎょうにんべんの上としたのバランスが異なる。
  • 「待」の「寺」の部分の上部が、写真上では「土」、写真下では「士」になっている。
  • 「田」の中の「十」が、写真下では「口」から離れている。
  • 「純」のいとへんの「糸」の下が、写真上でははねている。
  • 「純」のつくりの「屯」の一番上の部分が、写真上では突き出しているが、写真下は、突き出していない。
  • 「純」のつくりの「屯」のハネる長さが違っている
ということで、離婚届けの筆跡から見る限り、写真下は、何者かによってすり替えられた偽造書類ということになる。

 なお、狩野晴海さんが書いた離婚届(←離婚の話ばっかりやな)の筆跡の違いについてはこちらに証拠写真あり。地デジ後は、ちょっとした筆跡の違いも画面で鮮明にとらえられる。制作者もつまらないことで(←ホンマ、つまらないことやなあ)、ツッコミを受けないように万全の注意を払っていただきたいものだ。


2013年02月28日(木)

【思ったこと】
130228(木)NHK朝ドラ「純と愛」を楽しんで視る人と、腹を立てながら視る人(2)多数派という錯覚

 純と愛を考えるの連載の続き。

 昨日の日記にも書いたように、この一週間あまりのYahooのみんなの感想へのクチコミ数は、
  • 2月21日の★★★★★評価数 17274、★評価数18097
  • 2月28日の★★★★★評価数 17648、★評価数19369
  • 一週間の増加数 ★★★★★評価数 374、★評価数1272
となっていて、低評価が4分の3を占める状況が続いている。しかし、低評価のクチコミの中には、「一度たりとも感動したことはない」、「もう見るのを止めた」、「打ち切りを望む」、「毎日、見させられているのが辛い」、「受信料がこんなドラマの制作費に使われているのはケシカラン」といった、その日のドラマの内容とは無関係のワンパターンの攻撃的記事が多く(←管理者によって削除される場合も少なく無いので、実際にはものすごい数にのぼっているのだろう)、ドラマを楽しむための情報を得たいと思ってやってくる人たちを唖然とさせているに違いない。

 では、なぜこれほどまでに執拗に攻撃的書き込みを続けるのだろうか。行動分析学の原理から言えば、「一度たりとも感動したことはない」行動は消去されるはず(よって、そのドラマを視なくなるはず)だし、見るのが辛いという人にとってはドラマは嫌子(ケンシ)になるはず(よって、その時間はチャンネルを変えるか、録画してあった別のドラマを視ることで回避するはず)である。しかし実際には、「不快なドラマは許せない。無くしてしまえ」と声高に叫び続ける人たちがいる。

 となると、行動分析学の原理から言えば、低評価の書き込みをするという行動は、何か別の好子(コウシ)によって強化されていると考えざるを得ない。そうしたなかで、最近、その最大の好子ではないかと思いつつあるのが、「多数派という錯覚」である。

 (ドラマが嫌いになってしまった経緯は人それぞれであり、今後の朝ドラのあり方に反映しなければならないような事情も多々あるが、それはそれとして、)ドラマが嫌いになった人は、何とかしてそのドラマの存在を全否定し、この世から排除しようと、毒をはき出す。しかし、
  • 「このドラマは不快だ、最悪だ」という批判には「それなら視なければいいじゃない」という反論
  • 「離婚、自殺未遂、死亡、殴り合い、怒鳴りあいなどのシーンはドラマとしてはふさわしくない」という批判には「そういうドラマは山ほどある」という反論
  • 「朝ドラの時間枠にはふさわしくない」という批判には「朝ドラはこうあるべきだ、と決めつけるな」という反論
  • 「不快なドラマのために受信料は払いたくない」という批判には「万人が満足するようなドラマはない。不快感を与えないことばかり気にしすぎると、毒にも薬にもならぬものしか作れない」という反論
というように、ドラマを楽しんで視ている人たちから反撃される。そうなったときの最後の真理基準となる拠り所が、「たくさんの人たちが批判している」という確信であり、連帯感ではないか、というのが私の仮説である。

 しかし、このドラマを否定する人たちは本当に多数派なのだろうか。確かに、この一週間のYahooのみんなの感想へのクチコミ数だけから言えば、低評価は4分の3を占めている。しかし、
  • 「Yahooのみんなの感想」は視聴者の代表から構成されているわけではない。
  • 一週間でたかだか、1272。1日あたりでは200件にも満たないという絶対的な少なさ。このくらいの数だったら、夏菜さんのブログに寄せられる応援の声(撮影終了の時は600以上のメッセージあり)とさほど変わらない。
  • 直近の発言には、削除されることを承知の悪口がいつも表示されてしまうので、否定的発言が圧倒的に多いように見えてしまう。
といったことを考えると、「たくさんの人たちが批判している」というほどには「たくさん」ではない可能性がある。

 このことで連想するのが、大音響で街中を走り回る政治団体の街宣車である。近頃では騒音規制のためか(少なくとも岡山市内では)あまり耳にしなくなったが、ああいう車が数台通るだけで威圧感があり、強大な発言力を持っているかのように錯覚してしまう。しかし、ああいう車に乗っているのは、運転者を入れてせいぜい数人。ネット掲示板の書き込みにもそういうところがあり、ごく少数の人たちが複数のIDを使い分けて頻繁に書き込みを行うと、なんだかみんながそう思っているというような錯覚を起こしてしまう可能性がある。

 2月15日の日記にも書いたように、同じ時間とエネルギーを費やすのであれば、嫌いなドラマの批判を続けるよりは、自分の好きな別のドラマを見つけて感動を綴ったほうがポジティブな生き方につながるように思う。ジェーン・フォンダさん
You see, if you have, over time, reacted negatively to past events and people, neural pathways are laid down by chemical and electrical signals that are sent through the brain. And over time, these neural pathways become hardwired, they become the norm -- even if it's bad for us because it causes us stress and anxiety.

もし長年に渡って 過去の出来事や人に否定的な対応をしていると 脳からの化学的・電気的な信号により 否定的な考えの神経経路が形成されます その神経回路は 時間の経過とともに硬くなり それが常態になります でもこれは望ましいことではありません ストレスや不安の原因になります
と述べておられるように、否定的な対応を続けることは、自分でストレスや不安を作ってしまうことにつながるので、決してオススメできない。