じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
教育学部東端の桜の花。この季節に咲くコブクザクラではないかと思われる。 |
【思ったこと】 151105(木)『嫌われる勇気』(66)連続する刹那としての人生(4)まれの夢 昨日の日記で過去や将来にはネガティブな側面ばかりでなく、楽しかった思い出や将来の夢といったポジティブな部分もあるのではないかと記した。 私自身は人生を賭けるというほどの大きな夢は抱いたことは一度もないが、数年先を見越して何らかの目標を立て、種々の活動をその方向にむけて束ね、向上や達成を目ざすといった生き方をしてきた。また、これまでのところ、過去の出来事への後悔、劣等感や自信喪失などで悩んだことがあまりない。『嫌われる勇気』でも、ACTの入門書・解説書でも、いろいろな苦悩が取り上げられているが、率直なところ、なんでそんなクダラナイことに振り回されなければならないのか、と違和感を覚えるほどである。 ここで少々脱線するが、2015年上半期に放送されたNHK朝ドラ「まれ」でも「夢を持つ」ことがテーマになっていた。リンク先に 10歳の津村希は夢を追う父・徹に振り回される苦労のため子供ながらすっかり夢を持つことが大嫌いになり、幼児期に抱いていたケーキ職人への夢を封印する。と記されているように、子どもの頃は夢を持つことに否定的で「地道にコツコツ」を信条としていた希であったが【←10歳の子どもが実際にこういう考え方を持つというのは現実的でないような気もするが】、その後、世界一のパティシエを目指すようになった模様である。4月早々に視るのをやめてしまったので、詳しい展開は知らないが、録画しておいた総集編のラストには、「夢を持つ」ことを語るシーンがあった。総集編では、 「私は子どものころ夢が大っ嫌いでした。ほんでも、夢っちゃ、特別なもんじゃのうて、きょうよりちょっこりうまいケーキができたらいいなあとか、毎日の小さな嬉しいことや集まってでっけえ夢になるんじゃないかって。私は夢が大好きです。となっていたが、ネットで検索したところ、本放送のほうはもう少し長くなっていて というように語られたようである。もっとも、こういう夢というのは、ACTで言えば、ゴールではなく価値に相当するものであり、また、このWeb日記のタイトルでいえば「日々じぶん更新」と一致する精神であるとも言える。 もっとも、何度か書いているように、右肩上がりの「じぶん更新」はせいぜい50歳代まで。60歳代以降はソフトランディング型の新たな価値づけが必要となってくる。 不定期ながら、次回に続く。 |