じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大・南北通りの大規模環境整備工事がまもなく始まることとなり、東西通りや西門交差点に予告看板が設置された。工事が本格化する時期には、片側交互通行規制も行われるらしい。 なお、南北通りは岡大の敷地内であるため、歩道上でも喫煙は禁止されている(←もともと、どこの道路であろうと、歩行喫煙や自転車走行中の喫煙はもってのほかであるが)。 |
【思ったこと】 160221(日)『嫌われる勇気』(80)100分de名著(8)賞罰教育と承認欲求 2月18日の続き。 放送第3回の中程では、「承認欲求」が取り上げられた。 番組では、「承認欲求」が強いと色んな問題が出てくるが、その背景には賞罰教育があるというように論じられていた。このあたりは、昨年8月3日や8月7日の日記で考察したことがあるが、行動分析学との関連では最も議論が起こりそうなところと言えるだろう。 ちなみに、スキナーがオペラント強化に基づいて教育の問題を論じるようになったのは、どんなに早く見積もっても『The Behavior of Organisms: An Experimental Analysis』が刊行された1938年以降、実際には1950年代以降であろうと考えられるが、アドラーは1937年5月28日に死去されているので、教育方法をめぐってアドラーが直接スキナーと論争したことはあるまいと思われる。よって、アドラー心理学がスキナーのオペラント条件づけ理論を批判しているとしたら、それは、アドラー自身ではなく、その流れを受け継ぐ人たちによると思われるが、実際に、行動分析学が名指しで批判しているのか、それとも、単に、一般的な賞罰教育の弊害を指摘しているのか、については確認できていない。 なお、ここで念のためお断りしておくが、オペラント強化に基づく教育と「賞罰教育」は決して同じものではない。とりわけ「罰」については、スキナー自身その効果を否定しているし、その後の行動分析学の発展型の中でも、「罰」あるいは「弱化」は限定的と考える見方が一般的となっている(※)。 [※]例えば、自傷行動とか覚せい剤使用といった問題行動を阻止する際の緊急避難的措置として、弱化の必要が提唱されることはある。 さらに、ここも非常に大切なところだが、スキナーが提唱してきた「正の強化(好子出現による強化)」は、必ずしも第三者によってご褒美のように与えられる「賞」だけに限定されるものではない。番組で言及されていた「廊下に落ちていたゴミを拾う」という事例においても、何も、人から褒められてゴミを拾うだけが「正の強化」ではない。「ゴミが除去されて綺麗な環境が出現した」ということ自体も、自然に随伴する「ご褒美」となっているのである。 要するに、正の強化には、
[※]橋渡しではなく、それが本質というものもある。例えば「感謝の言葉」や、一般社会での賃金労働などは必ずしも否定されるものではあるまい。 もう1つ、選択行動に関わる問題がある。Schwarzが論じているように、自分で選んでいるつもりでも、結局は、メディアの影響を受けて受け身的に選ばされていたり、そのように条件づけられているだけという場合もある。形式上本人が選んだというだけで、その人の課題と言えるのかどうかも吟味する必要がありそうだ。 次回に続く。 |